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ほぼデイリー!

 

【2728】
≪間と響≫

(急)

(まとめの図2−2)

<一幅の水墨画(掛け軸)とアリスと“論理”>
3/3
I2/8
「絵鏡台合かヾ身」
牛若丸・弁慶/おにがハら・かふもり
猫/しゝ・みゝづく・はんにやあめん
三福神/へび・かへる・まいまいつぶり
歌川国芳

「ジェイムズ氏の肖像」 1937 マグリッド
(鏡は前後のみを入れかえる)

H1/8
“入り口と出口”
(輪 郭)

G8/8
対蹠点 2/2
(無 限)

F7/8
対蹠点 1/2

E6/8
裏と表
(参考:ティモシー・ドレヴァー 1969 「月面」)

D5/8
“アナロジー”(類推)

C4/8
色と形
※フェーバー・ビレンの形体色感
※ヨハネス・イッテンの形体色感
※メートランド・グレーブスの形体色感

B3/8
「ジェイムズ氏の肖像」 1937 マグリッド
(鏡は前後のみを入れかえる)

A2/8
“入り口と出口”
(輪 郭)

@1/8
“対蹠点”

※古典論理
※レヴィ=ストロースの多様性とロールシャハとゲシュタルトの図

デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.16(金)
【2727】
≪間と響≫

(破)

(まとめの図2−1)

<一幅の水墨画(掛け軸)とアリスと“論理”>
2/3

●天:老人と子供(達 観)
|
○人:生得的(薄墨桜)
|
●地:子供と老人(麓)

(老人と子供と満月の掛け軸の図)
(ゲシュタルトと紡錘形とその逆転の図)

デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.15(木)
【2726】
≪間と響≫

(序)
<一幅の水墨画(掛け軸)とアリスと“論理”>
1/3

はじめに

 “君がさまざまな・し・み・やいろいろな石の混入で汚れた壁を眺める場合,もしある情景を思い浮かべさえすれば,そこにさまざまな形の山々や河川や巌石や樹木や平原や大渓谷や丘陵に飾られた各種の風景に似たものを見ることができるだろう。さらにさまざまな戦闘や人物の迅速な行動,奇妙な顔や服装その他無限の物象を認めうるにちがいないが,それらをば君は完全かつ見事な形態に還元することができよう。そしてこの種の石混りの壁の上には,その響の中に君の想像するかぎりのあらゆる名前や単語が見出される鐘の音のようなことがおこるのである”『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(上)より

デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.14(水)
【2725】
≪間と響≫


(まとめの図1)
H“地 球”(逆説とホムンクルス)

G“独 楽”(地軸と回転)

F“弥次郎兵衛”(超人とバランス)

E“ゴッホと草むら”(自律と神経)

D“絶対零度”(主客の逆転と不確定性原理)

C“口”(焦点と光)

B“腸”(蠕動とこころ)

A“浮 島”(ガリヴァーと縮尺)

@“達 磨”(禅と問答)

デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.13(火)
【2724】
≪間と響≫


“ゴッホと草むら”
5/5

(まとめ)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.09.12(月)
【2723】
≪間と響≫


“間 奏”

(超人と超伝導について)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.09.11(日)
【2722】
≪間と響≫


“ゴッホと草むら”
4/5

(バランスとシナプスと掠れについて)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.09.10(土)
【2721】
≪間と響≫


“ゴッホと草むら”
3/5

(パケットとパルスとストロボについて)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.09(金)
【2720】
≪間と響≫


“ゴッホと草むら”
2/5

道は自然に法る
|
奥の細道
|
エビの神経系
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.08(木)
【2719】
≪間と響≫


“間 奏”

(音と造形について)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.07(水)
【2718】
≪間と響≫


“ゴッホと草むら”
1/5

 以前からどうしても気になっていた一枚(点)があります。

 そのためには独断と偏見を以ってでも,
自らが自らを(治療)するように結論を出さなければならない必然性に迫られてしまいます?

 その作品は,
フィンセント・ファン・ゴッホ の≪草むら≫(1889年 油彩)です。

 日本(版)画を愛したゴッホ。

 だから遠近感がないのでしょうか?

 ※1「君に便りする約束をしたので,まず,この地方が空気に透明さと明るい色彩の効果のため僕には日本のように美しくエメラルド色と豊かな青の色斑をなして,まるで日本版画(クレポン)のなかで見るのと同じ感じだ」(参考『ポーラ美術館の印象派』エミール・ベルナールへの手紙より)

 それは外(外国)から内(日本)を眺めた時,陽(凸)を陰(凹)に,
平らにバランスをとっている自立神経のようでもあります。

 そうした意味においてこの絵は“自立”した作品なのかもしれません?

 キャンバスに草を描いただけの四角の小さな作品ではありますが,
地(大地)は塗らないで,剥き出しの生地(キャンバス)のままで表現しているあたり,

 如何に,敏感に,それが神経に反応し,

 ジョン・ケージの≪4分33秒≫(絶対零度)ではないですが,ステージを観る側と観られる側が,
演奏・し・な・い・ことで表現したノイズのように,

 描かれた草むらは・何・も・し・な・い・キャンバスであるが故に反応した,神経の一本一本のようでもあります。

 というのも脳を大別しているニューロンともう一つのグリア細胞には,ニューロンが情報を伝達する際に発生する電気信号を,絶縁体として保護して,それがうまく伝わるように支える役割をしている(らしい)からです。

 他にも害のある物質を脳に入れないための大切な役割もしているそうで,グリアのつくるその障壁を血液脳関門というそうです。

 つまりキャンバスを何もしないで,地のままであることがここでは,その役割を果たしているのではないかと,思うのです。

 ※3「耳切り事件」の後の,この時,ゴッホはアルルから25キロほど離れたサン=レミで治療を受けていた病院の敷地に生い茂る草むらを描いたのが,この作品だそうですが,いったい何を草むらに見ていたのでしょうか?(参考『ポーラ美術館の印象派』エミール・ベルナールへの手紙より)

 丹念な筆跡からは,なぜか,窓枠から自分が自分を一本一本 確かめるようにして,筆を運んだ跡ではないかと考えさせられてしまいます。

 ※4“農民や労働者と植物という,力強く大地とともに生きる生命の姿は,ゴッホがオランダ絵画の伝統とバルビゾン派から受け継ぎ,追い求めたテーマであった”(参考『ポーラ美術館の印象派』エミール・ベルナールへの手紙より)

 そしていつしかその画面を裸眼立体視で凝視するかのように,対象をじっと眺めている自分に気付かされます。

 それは草と地の関係が, ネガとポジであり,ポジとネガの“反転の関係”であるからなのかもしれません。

 ※5 “1936年,ヤングはイカの巨大軸索を用いて,単一のニューロンの電気活動を測定する方法を開発しました。
 イカの巨大軸索は直径が0.5〜1mmもあそうで,簡単に電極を挿入できるそうです。
 この手法によって,細胞内の電位は通常は細胞外よりも低く保たれており,興奮時には局所時に“反転”すること,さらにそれが軸索に沿って“伝播”していくことが明らかになったそうです。
 これが活動電位です。
 1952年,ホジキンとハックスレーは,軸索に沿ってナトリウムイオンが細胞外から細胞内に順次流入していくことで活動電位が生じいることを明らかにしたそうです”(参考『脳 内なる企画展』読売新聞社より)

 つまり,重力に逆らうように描かれたその一本一本は,
グリア細胞の大地に描かれた逆毛立つ神経の一本一本のようでもあります。
 しかし,
その過敏な神経がスタイリッシュに映ったのは何故でしょうか?(自問)

 心象が脳裏に浮かぶように,
表象は,すべてを反射する空間となって,
 スチールに草むらを,映りこませていた。

 自律(内臓筋と自律神経系)しているとはいえ,大地に生える根と枝葉の関係のように,頭は体で起きていることの,鏡のようでもあります?

 ※6 “交感神経と副交感神経のはたらきは,各器官によってちがっている。自律神経の中枢は,中脳・延髄・脊髄であって,自分の意志(大脳の営み)とは無関係であるが,大脳の状況(感情の変化)は敏感に影響する。たとえば,口論をして大脳が高ぶっているとき,交感神経興奮の症状があらわれ,心臓はドキドキし,瞳孔が散大し胃腸の活動は低下するなどである。気分よく食事をする必要性もここにある”

 それは,長円の描き方と焦点の性質にあるように,ニ定点FとF'の関係のようでもあります。

 描かれた長円の内側を鏡にすることによって,一方の焦点F(光源)からもう一方の焦点F’に光は集まり,その光源Fが熱ければ焦点F'は焦げてしまう。そこから「焦点」という名は出てきた(と,思われる)そうですが,

 頭部よりに存在した神経節が,いくつも集合したものが(枝葉)であるとしたら,その反対に拡がる神経節を,大地に拡がる(根)だとして,
 ふたつの繋がりは長円の内側を鏡にした焦点Fと焦点F’をひっくり返した,双曲線の関係のように,
二つの定点は,自らの反射がまるで,他から出た光であるかのように発散して繋がっている関係のようでしかたがありません。

 ※7 参考として: 刺激の伝達は,感覚器→知覚神経→脳・脊髄(中枢)→運動神経→反応・行動

 直接関係はありませんがニューロンがヒドラの場合,口を囲むように環状に集まっていることがわかり,それが脳(中枢神経系)の原始的なかたちかもしれないと考えられてきているそうですが,

 すべての脳に共通していることは,口の近くにあることで,何をどれだけ食べているかについての判断が,脳の最初の働きだったのかもしれない,ということだそうです。(参考『脳 内なる企画展』読売新聞社より)

 ヒドラのニューロンが環状になっているように,
二つの定点(焦点)を一点に重ねれば円になりますが,
 光と焦点の関係は,それは,
原始的なニューロンと口の関係のようにも,見えてきます。

 ※8 “脳は数百億のニューロンが結びついてできている,究極の組織である。そしてニューロンは,体の中で最も高度に分化した細胞であり,木の枝によく似た「樹状突起」を無数に持っていて,驚くほど複雑で神秘的な形をしている。なお,「ニューロン(neuron)」という言葉は,ドイツのH・W・G・ヴァルダイヤー-ハルツが1891年にはじめて用いている”(『科学者という仕事』酒井邦嘉著より)

 予断ではありますが,【style】の語源は「先のとがった筆記具」((形)stylish)だそうです。

 神経は先細ったものだとして,刺激を反映するのも神経だとしたら,styleの語源の中に,鏡と神経の関連性を連想してしまいます。

 また,何故に草むらがスタイリッシュに映ったのか?
その原因もまた,それが反映した結果であったのかもしれません。

 そしてその絵を周りで見ていた人からも,同じような気配を“肌”で感じ取れたのも,そのためでしょうか?

 また,キャンバスの「45.1×48.8cm」このサイズが
枠を超えてクローズアップした(する)気持ちを代弁しているようでなりません。

 正方形の対角線は迫り来る
画狂人を号した北斎の≪富嶽三十六景・神奈川沖浪裏≫の波(こちらは黄金比,ここでは緊張感の意味として)のようでもあり,
 その緊張感は時として,ジョン・ケージの≪4分33秒≫(絶対零度)のように
主・客を逆転させる。

 逆立つ神経の一本一本は,観客の一人一人でもあり,観る側を刺激します。

 まるで観ているものの視線がそのタッチに触れてるかのように,
筆の一本一本は,順を追うように,空席を埋めるかの如く描かれています。

 ※神経の,ニューロンとシナプス(接続点)は,電気から化学への伝達で成立しているそうですが,

 軸索をとりまく髄鞘の構造は,その隙間からイオンが出入りをすることで,電気的変化を起こさせ,正確に興奮を早く伝える(パルス)ためのようですが,それは顎の進化と共に起きたそうです。

 その理由は,獲物にすばやく反応するためには,発生した活動電位をすばやく伝達する必要があったためだと考えられているようです。

 ちなみに顎を持たない円口類(ヌタウナギ,ヤツメウナギ)のような魚には髄鞘はないそうです。

 ※ひとまとめにグリア細胞やニューロンとされがちですが,形も機能も実際には異なるたくさんの種類があるそうです

 細長く少し擦れ目に他の色(絵の具)と混ざりながら伸びる草むらは,軸索(神経線維)を逆毛立つように伝播するパルスの運筆ようでもあり, 色の変化はシナップスの繋ぎの擦れのようでもあり,そのひとつひとつの塊は,細胞体,樹状突起,軸索の各部からなるニューロンそのものの形状のようでもあります。

 ※からだの中を刺激が伝わるのに要する時間の大部分はシナップスにおいて消費される時間と考えられて,また,シナップスで神経疲労が起こるといわれているそうです。シナップスは神経繊維が刺激を伝える速さに比べずっと遅く一つのシナップスでは100分の2秒ぐらい時間がかかることが測定されているそうです。
(続く)

(8/15)
光と焦点,ニューロンと口,内臓筋(不随意筋)と頭

(注:イメージとして)
「光と焦点,ニューロンと口,内臓筋(不随意筋)と(頭)」
※脳を持つ動物はどれも,満腹になったことを脳で判断しているそうです。
※内臓筋(平滑筋)は自分の意志で収縮させることができないので不随意筋ともいう。
※心筋は心臓の筋肉でありながら横紋筋で,しかも不随筋だそうです。
※横紋筋は分布している場所から骨格筋ともよび,
自分の意志で収縮でることができるので,随意筋ともいうそうです。

デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.06(火)
【2717】
≪間と響≫

-1-
(序)


“ハードとソフトとドーキンス”
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.05(月)
【2716】
≪間と響≫

-3-
(急)


“東洋的直感”
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.04(日)
【2715】
≪間と響≫

-3-
(破)


(かたちとこころ8)
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.03(土)
【2714】
≪間と響≫

-3-
(序)


(かたちとこころ7)
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.02(金)
【2713】
≪間と響≫

-2-
(急)


(かたちとこころ6)
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.09.01(木)
【2712】
≪間と響≫

-2-
(破)


(かたちとこころ5)
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.31(水)
【2711】
≪間と響≫

-2-
(序)


“混沌はランダムではない”
(かたちとこころ4)
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.30(火)
【2710】
≪間と響≫

-1-
(急)


<蝶>
(情緒について)
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.29(月)
【2709】
≪間と響≫

-1-
(破)


<花>
(消費と交換について)
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.28(日)
【2708】
≪間と響≫

-1-
(序)


<川>
“流れとしての自然”
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.27(土)
【2707】
≪間と響≫

-3-
(急)


“シャボンと黄金比”
(かたちとこころ3)
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.26(金)
【2706】
≪間と響≫

-3-
(破)


“「うら」とフラクタル”
(かたちとこころ2)
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.25(木)
【2705】
≪間と響≫

-3-
(序)


“禅には影がない”
(かたちとこころ1)
無

<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.24(水)
【2704】
≪間と響≫

-2-
(急)


“視覚と聴覚”
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.23(火)
【2703】
≪間と響≫

-2-
(破)


“極端な変種”
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.22(月)
【2702】
≪間と響≫

-2-
(序)


“偏った空間”
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.21(日)
【2701】
≪間と響≫

-1-
(急)


“那智滝図”
(芸術と仮想と,意識と空間)
―観念と現実―

 京都の三十三間堂には千体もの千手観音像が整然と並べられていますが,
なぜ千体もの観音が並べられているでしょうか?
 平安時代の歌謡集である『梁塵秘抄』には「万の仏の願よりも,千手の誓いぞたのもしき」と綴られているそうです。

 ところで熊野にあります那智の瀧は,千手観音を本地とし,古来より神聖視され飛龍権限として観念されていたそうです。

 ◎観念の起源が外界にあると考えた場合には,人間の心は白紙であって。外界との接触という経験によって人間の観念が形成されると考える。
 ◎また外界の起源が観念にあると考えた場合には,外部の世界も人間の観念の投影のようなものにすぎないと考えることになる。
 ◎この経験論と観念論は,ひじょうに対照的な思考法ではあるけれど,カントもいったように,ひとつのコインをどちら側からみるかというちがいにすぎない。
 ◎このふたつの考えかたはどちらも,事物の像と人間の思惟が直接対応するという思考方法をもっているんだ。 『思考の用語辞典』中山 元より

 はなしは変わり,日本建築にある床の間は,仏壇を設けるため,あるいは仏画を掛ける,または武具を飾るところから変化してきたものらしいですが,
その歴史についての定説はあまりはっきりして居らず,藤原時代の寝殿造りや,足利時代に発展した書院造りが,その起源であるという説もあるそうです。

 ところでその床の間を,座敷と外界とを結ぶ仮想の間として捉えてみるのは,可笑しなはなしでしょうか。
山水の水墨画を掛ければ,山道を歩き庵で思案したりと,自在に思考を遊ばせることができます。

 その掛け軸に,一幅の「那智瀧図」という,鎌倉時代(1192-1333)のものがあります。
その那智の瀧の本地は千手観音で,“千手というのは数限りない人々の苦悩をすべて救いとるという意味で平安時代(794-1192)に多くつくられた”そうです。(『仏像の見方がわかる小事典』松濤弘道より)

 観念的な意味において,滝の本地が千手観音であれば,その掛け軸もまた,おなじように観念の対象としての滝がそれに一致するものであれば,そこには見えないが見えるものとして投影されるのではないでしょうか。

 流れる滝は現在進行形であり,出現したその姿を生き生きと掴むことになるのかもしれません。
芸術の価値が観る側に語りかける度合いのものであるならば,

 そこには“世界が作られる場”(フッサール)としての,床の間の芸術の掛け軸に,“悟りを開いたものにとっては空間は存在しない”(『茶の本』岡倉天心)ではないですが,狭い空間(頭)に,ぱっと開かれた世界を出現させてくれるのかもしれません。

 ここで日本間(座敷)の構造に戻って考えてみますと,襖で仕切られた空間は開け閉めのきく空間です。
襖を開いた座敷の正面には本勝手(左)または逆勝手(右)に床の間があります。

 主題である床の間の掛け軸は,(場)を演出し,仮想の空間を表現します。
ここで対象としての掛け軸は,意識としての仮想である観念で,このとき空間は入れ子となって,私たちは頭の中にいることに,驚かされます。

 “われ思う,ゆえにわれあり”(コギト)

 閉じたこの空間で唯一頼りになるのは内なる主観としての自分との対話(対峙)です。
対象としての掛け軸(「那智瀧図」)に流れる瀧を観,そこに本地としての観音が出現したとき,一切の仕切りが取り去られた空間として,仮想は現実のものとなる?

 故に“山の陵線から金箔で表現された月輪が顔を覗かせ,また瀧の手前では杉の老木が林立し,その樹幹にはいくつかの碑伝が打ち付けられる。手前の拝殿では屋根を貫いて「生貫杉」とよばれる霊木が生え(る)”(「那智滝図」特別展『祈りの道』2004-2005 より)ているのではないでしょうか。

 閉じた空間としての現実は病のときのからだの樽さのように意識させられます。
 ところが日ごろは身体としての現実を意識することがないように,悟りも救いも一切のものがぱっと剥ぎ取られた病からの回復のように,景色を一新させてくれるものなのかもしれません。(金の月輪,碑伝,生貫杉)

 そこで直感します。

 悟りも救いも意識しない日ごろのからだのように,
三十三軒堂には具象の表現としての千体もの観音立像が今日も在り在りと並んでいます。(待っています)

(※注:これは“観念と現実”の想像の物語です)

 8/25

<3/4>
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※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.08.20(土)
【2700】
≪間と響≫

-1-
(破)


“夢魔と権貴”
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.08.19(金)
【2699】
≪間と響≫

-1-
(序)


“セレンディピティーと人類の叡智”
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.08.18(木)
【2698】
≪間と響≫

-3-
(急)


“見開きのDNA”
<3/4>
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Art of Life; 2011.08.17(水)
【2697】
≪間と響≫

-3-
(破)


“こころと二重螺旋”
<2/4>
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Art of Life; 2011.08.16(火)
【2696】
≪間と響≫

-3-
(序)


“ゴッホと草むら”
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.08.15(月)
【2695】
≪間と響≫

-2-
(急)


“僕にとってのバロウズ・ゴダール・コクトーに想うこと”
(カットアップと編集とオリジナル)

 瞼を閉じるとは,瞼を開けることのように,喪失は爽快のように,獲得が喪失のように,裏腹なことは不思議とあります。

 その裏と表の過程(間)を埋める努力が人生のようでもあるし,短くみれば日々の努力のようでもあり,変身と獲得はリスクを伴うものでもあります。

 そこに「僕はオリジナリティーは嫌いだ」といったコウトーの意味が潜んでいるようにも思えてきます。

 寝入端に,つまり油断するとボロボロと出てくる断片のものたち,それを時系列に並べればゴダールに,カットアップに散らばせばバロウズに,イモ洗いも,石垣も,禅もゴツゴツしていて,背後に潜んでいる。

 バラバラに刻まれた断片は言語となって語りかけてくる。

  「抽象も具象も僕にはない」と言ったゴダールにはきっと連なった断片(物語)の先に凹凸が,今度は逆に凸凹につらなって変遷(編成)されて出てくると言いたかったのではないでしょうか?

 (背後は捻られたメビウスの輪となって現れてくる)
それらはけっしてバラバラなものではなく(崩壊),捻られた先に連なって,掬い取れないものを掬い取って現れてくる?

 沈黙の間は,行間のように,訴えかけてきます。

 無意味なものでもなく,未整理が整理となって,カットアップは繋がれている。
時系列の旋律も,刻まれた断片はチェンバロの響きとなって,対の螺旋をそれは上昇でもあり,下降でもあり,相対的な流れとなって,わたしたちの中で響いている。

 刻まれた柄杓は相対的な柄杓となって断片を掬うことができる。

 AT,TA,CG,GCと対の螺旋の流れの中で編集されているようです。

(※注:これは・ぼ・く・に・と・っ・て・のゴダール・バロウズ・コクトーの想像の物語です)

 8/26

<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.14(日)
【2694】
≪間と響≫

-2-
(破)


“サイ(甲骨文字)と鳥”
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.13(土)
【2693】
≪間と響≫

-2-
(序)


“グロービッシュとヘラクレスとサティー”
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.12(金)
【2692】
≪間と響≫

-1-
(急)


“記憶と(レヴィ=ストロース)と神話”
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.11(木)
【2691】
≪間と響≫

-1-
(破)


“来迎図と夢”
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.10(水)
【2690】
≪間と響≫

-1-
(序)


(宇宙について)
“システム”
※「日月山水図屏風」
<1/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.09(火)
【2689】
≪間と響≫

-3-
(急)


<灌頂と滝>
―滝は観る人をイコールに誘う―
風鈴と鐘,波と滝,灌頂と宇宙,密教と法具
(蓋を開ける)

 「四分のπは少数点以下の並びは文字どうりの不規則というのではなくて,ほとんどの用途に必要となるくらいの不規則,つまり“擬似的不規則”なのである。数学は擬似不規則に満ちている―あらゆる時代にすべての創造主志望者にゆき渡るほどたっぷりあるのだ」ダグラス・ホフシュタッター『ゲーテテル,エッシャー,バッハ』より

 本来 江戸風鈴は切り口が切り落しの,ガラスが欠けて出来た,自然のぎざぎざの波形になっているように,その音もランダムに“日本人”の心に涼を誘います。

 (ポリネシア人と)日本人のみが「虫の音」を「虫の声」として聴き取ることができるのも,日本語の母音の多い,左脳重視の得意な言語がそうさせているのではないか,ということだそうです。

 西洋の方(中国人,韓国人も)にしてみれば,虫の音はただのノイズ(虫の音)としてしか聴き取れないというはなしはよく耳にしますが,伺ってみないとその辺りのことは定かではありませんが,日本人も母国語以外の外国語で育てられると“西洋人”と同じ耳になるということは,言語そのものがどうやら,そうさせているようです。

 インド伝承医学のアーユルベーダ(人間の生理機能のバランスを整え,自然治癒力を高める)では,頭部にオイルをかけることで寛ぐための方法がありますが,わたしたちの頭部は時々その檻から自由になることで,解放されるそうした構造が,こうした療法を発見させたのでしょうか?

 それとは目的は異なりますが,似たように,密教の儀式に“灌頂”という頭頂に水をそそぐ儀式があるそうです。

 ※【灌頂】@インドで国王即位の時,頭頂に四大海の水をそそいだ儀式。A〔仏〕イ 法王子の灌頂。九地の菩薩が十地に登るとき,諸仏の智水を頂にそそぐ儀式。ロ 秘密灌頂。密教で阿じゃりより法を受ける時の儀式。密灌。ハ 墓に水を注ぎかけること。(広辞苑より)

 “蓋を開ける”とは,物事を始める。また,何かが始まって,その結果がわかる状態のことのように,【dis-cover】は「発見」ですが,天蓋を開くことで何かと一致する。真言宗の金剛寺における“灌頂の儀式”に用いられた「日月山水頭屏風」に“滝”が描かれているのもきっとそのためではないでしょうか?

@“潜水艇は意識を下げ,水面から天球のみを覗かせることにより,宇宙と一体となる”(空)

A“瞼は暗闇で迷わぬよう,浮きは沈むでもなく浮かぶでもなく自然にまかせ,目線を一定に保つことで安定させる(半眼)

B“それが理想の深度となり,その状態で暫くいることで,帰還した時には無にリセットされている”(無) (@AB 座禅について)

 座禅でいうところの身体的バランス(姿勢)をとる事で,拘束から頭部を解放させるといった行為の,それらは逆を辿ることで“宇宙”と一体となる方法ではないかと,考えを巡らされています。

 ※天球の天蓋にあたる,大脳の頭頂野のその辺りの部分を何らかの方法で,内と外との境界がぼやけるようにすることで空間と位置との方向があいまいになる?

 それらもろもろの再現はこれらもろもろの擬似的体験の試みのように思えてきてなりません。

 はなしは変わりますが,音叉をモチーフとしたブルーノ・エルストの『負の響き』1984年という作品があります。

 タイトルの“負の響き”ですが,負は無になることで拘束から解放される。ラジアン(弧度)は波を立て境界があいまいになることで自由になる。池にポトンと水面は波紋になって拡がってゆく。共感は共鳴することで開放される。音叉に置き換えて表現されたのも(音叉をモチーフとしたのも)そのためではないかと解釈しています。

 負を無に転化することで“無位の真人”となる?(※臨済)

 (はなしは両界曼陀羅に移りますが)

 “インドに源流をもつmandaraは,サンスクリット語で‘丸いもの’を意味することば。あるい‘本質 manda’を‘所有する la’ものとも訳される。
 日本の密教ではこの二つを統合して,「輪円具足(完全にして欠けることがない・一切のものを包み込む円相)」や「聖衆集会(悟りを開いた仏たちが寄り集うところ)」と要約している。
 唐代の中国仏教は,マンダラを「曼茶羅」と音訳し,チベット仏教では「キルコル」(中心を廻るもの)と意訳した” 『美の図学』日本図学会編より

 (上記)のようなことを考えてみますと,中心にいる智の創造主(大日如来)が,円がπでなく,πが円を描かせた想いが曼陀羅には秘められているようでなりません。

 ※◎2<π<4(□<○<□)

 密教の法具で金剛杵は武器から転化したものらしく鈷が一本であれば独鈷杵。鈷の数により呼称も変化し三鈷杵,五鈷杵となるそうです。

 (ここからは想像のはなしになります)

 武器にもかかわらず両脇の鈷は,蕾が膨らんでいく過程そのものの様にも見えてきます。
というのもその武器で煩悩を砕くとは,そもそも何をどう砕けばいいのか?

 それは心中の煩悩を天を貫くように,独鈷杵が蓮華の蕾の五鈷杵を四葉(東南西北)に開かせる。 広がる香りの円(π)の世界。(大日如来の禅定印)蓮弁は八葉に拡がり胎蔵界曼陀羅(目に見えないかたちを)を図に描き出す。

 その五鈷杵の反対側に大日如来に見立てた鈴(“鐘”)をつけた法具(金剛 三摩耶五鈷鈴)があります。

 鐘の音(鈴)は波を描き,智の宇宙に拡がる波紋(π)は,方形(九つに分割)を描き,方形が円(五仏の誕生)を描いた中心へと凝縮され,9つに分かれた区画のそれぞれには大日如来が坐し,目に見えるかたちで金剛曼陀羅(成身会)図が現れます。
 ※ここで“九つの分割”(分身)は,“祈るものと祈られるもの関係によって“距離”も“分割”(分身)も・現・実・のものとしているのではないでしょうか。

 右廻りに拡がる胎蔵界。右廻りに中心へ凝縮する金剛界。

 二而不而(二にして一,一にして二)の世界は大日如来を中心に知拳印で結ばれる。
 四角を円に,円を四角に,虚が実に,πが方形と無限の宇宙と繋がった永遠の瞬間(叡智)に拡がっているようです。

 “灌頂”と“滝”の関係にはなしを戻しますと,客観を内観している主観と,内観を客観している主観が,“ホワイトノイズ”な関係によって結ばれている?

 あまりにも不思議なことが続くと果たしてこれは現実か?
夢が現実で,現実が夢で,バランスをとろうとして,これはもしかして夢かもしれないと白昼夢を見る?

 滝も,滝の音も,
滝は観る人を“イコール”へと誘います。

(※注:これは滝と灌頂の想像の物語です)

 8/16
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.08(月)
【2688】
≪間と響≫

-3-
(破)


<“欠けた三鈷杵”>
(大仙院の枯山水と大日如来)
“懸け橋”
蓬莱―(枯)山水―(真言)密教

 8月7日(金) 日本橋で「橋ものがたり」展。その後,上野で「空海と密教美術」展。

 日本橋で見た“参詣曼荼羅”は,聖域を段階的に上へと誘うための装置として「橋」があり,聖と俗の境界を超えるためのものとしての役割を,「橋」がはたしていました。

 ○“入唐留学を終えた空海が帰国にあたって中国明州の浜から投げた三鈷杵は大きな弧を描いて高野の松にかかる?”(飛行三鈷伝説)

 上野で展示されていた“欠けた三鈷杵”(飛行三鈷杵)に“妙”に納得させられたのは何故でしょう。(自問自答)

 逆説的ではありますが時間を遡り考えを巡らせていると,ゴツン!と「そうか!」と,納得した自分に出会いました。

 そこで思い出したのが京都の大仙院の枯山水(禅の庭)です。
方丈の東側に面したこの庭は,奥行き三メートル弱の視覚的にもわかりやすい具象の縮図が左から右へと流れる(?)小さな庭だそうです。

 先ず向かって左手(北隅)に二つの大きな立石(不動石と観音石)が象徴的に配置されていて,その奥には三段の枯滝石組があり,その流れは恰も水が流れているが如く,洋々たる大河へと(右手へと)繋がっていく構成になっています。

 その流れをちょうど真ん中で横切った形で(堰),禅僧好みの屋根のある反り橋(亭橋)が渡されています。
その橋の「火燈窓」から川下へ視線をずらしていくと,禅の公安の<橋流不流>ではありませんが,橋は移動し“二つの盛砂”(円錐)のある,終いの「南庭」へと次第に近づいて行きます。

 (今いるのは移動してきたその橋の上です)

 この無限のひろさを感じさせる“二つの盛砂”を“脳梁”が繋ぐではないですが,それと重なるように唐からの飛行の軌跡が橋となり,その法具の意匠は“二つの盛砂”と重なって,橋の上から橋を眺める自分が入れ子となってそこにいる訳です。

 滝は渓谷を流れ大河となり,そこには橋が架かり,その直後には舟石がある。流れは大海へと拡がり大陸的な自然の景観へと繋がって行く。

 (遣唐船は架け橋となって,三鈷杵はアーチとなって帰ってくる)

 そして反り橋(亭橋)が「南庭」(“二つの盛砂”)に来るころには,「北庭」の独醒石(一人で悟りを開く意)のあることの意味がだんだんと見えてきます。

 (「南庭」の無限の拡がりは,内なる宇宙(大日如来)へと繋がってゆく・・・)

 “いかに小さくても,ともかく人が通ることのできる亭橋を,しかもこのせまい庭の中央にかけわたした構想の大胆さにはおどろかされる。現実の機能を保たせながら,現実のスケールを超えた庭の表現の世界へと調和を失わず,むしろ積極的に庭の空間構成の要素とした創意の卓抜さはすばらしい”日本の美術『庭』より

 ここで振り返って考えてみますと,いったん中央の“堰”で河の流れを止めて,それを境に,橋が時の流れとなって移動<橋流水不流>していく。

 そして「南庭」で“反り橋”と“二つの盛砂”が重なる。

 ちょうど時計の長針と短針が12時で一つになるが如く,その瞬間,「南庭」(“二つの盛砂”)と「北庭」(独醒石)が時の流れの中央(12時)で重なり,時間が空間へと置き換えられ,大日如来は「等流身」となって現れる。

 時空を飛び越え飛行してきた“三鈷杵”が“欠けた三鈷杵”となった瞬間の響きと重なった一瞬に,枯山水(反り橋)は水墨から五彩色へと逆転する。

 “欠けた三鈷杵”(飛行三鈷杵)に観た夢は,ゴツン!と凹が凸へと肯定された,それは内なる宇宙の,強烈な生命への,目覚めの瞬間の「響き」だったのかも知れません。

ハ・ハ・ハ
(ha-ha-ha)
自ら楽しんで大笑,他人を救って大笑
[吽]

(※注:これは“欠けた三鈷杵”の想像の物語です)


<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.07(日)
【2687】
≪間と響≫

-3-
(序)


“ゲシュタルト”
(記 憶)
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.08.06(土)
【2686】
≪間と響≫

-2-
(急)


“ゲシュタルト”
(視 覚)
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.05(金)
【2685】
≪間と響≫

-2-
(破)


“ゲシュタルト”
(ことば)
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.08.04(木)
【2684】
≪間と響≫

-2-
(序)


“ゲシュタルト”
(メロディー)
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.08.03(水)
【2683】
≪間と響≫

-1-
(急)

<二つのリング>


<二つのリング>
(白鳥の湖)

“これはパイプではない”
“白鳥の湖”
“月の桂の庭”
“線に囲まれた面”

2005-2011

*「月の桂の庭」L型の“巨石”を“小さい台石”にのせるという手法は作者の勇気のほどを思わせる大胆なものである。日本の美術 別館 『庭』より
「これはパイプではない」マグリッド

矛盾(ズレ)を前に舌はひきつり(痙攣)ことばを奪われた*ホムンクルスは逆転する?

「月の桂の庭」

呪いにより“オデット姫”(*白鳥の湖)は岩の中へ閉じ込められてしまう。(*月の桂の庭)

内は外へ,外は内へ。

苛立ち(暗闇)の中 月明かりの下でだけオデット姫は ひときは美しいその姿を現す(戻る)ことができた。(*月の桂の庭)

「線に囲まれた面」J.アルベルス

矛盾は呪縛となる。

“線に囲まれた面”はオデット姫の呪いを解くために悪魔と戦って勝つものの・それを解くことのできない王子の心の葛藤を象徴しているかのようにもみえてきます?

* * *

(ここでは)本来 「視覚」と「言葉」は独立しているものだとして,“文字”によって二つの気持ちが結ばれているものだとすれば(ズレと「これはパイプではない」),
“二人のズレ”には文字に変わるなにかが欠けているように感じます。

永遠の愛の誓いだけが呪いを覆し,二人を結びつけることができることを知っているのに,惹かれたままで告白しないままでは。(*白鳥の湖)

<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.02(火)
【2682】
≪間と響≫

-1-
(破)


「意識と無意識」
(遅 れ)
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.08.01(月)
【2681】
≪間と響≫

-1-
(序)


「無意識」

(リゾーム)
アンチ・オディプス

「スフィンクスの謎かけ」
オディプス「はじめは四本脚,それから2本脚,その後3本脚で歩く動物とはなにか」

“フロイト”

※「警句の碑文入り墓碑」
誰にもわかるまい
(リゾーム)と(フロイト) 

<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.07.31(日)
【2680】
≪間と響≫

-3-
(急)


“ガリレオと龍安寺”
(波)
3・5・7 

<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.30(土)
【2679】
≪間と響≫

-3-
(破)


(素 数)
“フーリエ”
“リーマン”
“ガ ウ ス”
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.07.29(金)
【2678】
≪間と響≫

-3-
(序)
<エッシャーな数字と龍安寺 石庭と蹲>

<エッシャーな数字と“龍安寺”石庭と蹲>
(システム)
2011

例1(76)(74)(83)(95)(94)(63)(62)(53)(21)(27)(22)(33)(14)(23)(13)
例2(54)(12)(94)(88)(71)(86)(41)(74)(11)(32)(34)(21)(22)(16)(97)
例3(24)(12)(86)(11)(84)(74)(43)(72)(94)(31)(16)(41)(62)(14)(86)

“空間と龍安寺”
(相対と多様性)

※龍安寺 石庭
※吾唯足知の蹲
※(M.C.エッシャー)
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.28(木)
【2677】
≪間と響≫

-2-
(急)


“円とπと波”
“円とπと波” 

<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.27(水)
【2676】
≪間と響≫

-2-
(破)

○重森三玲「北斗七星の庭」 東福寺方丈

2007 7/27
2007 7/27
○ギィ・ルージュモン「二つの空間の相互浸透」 箱根 彫刻森美術館
前-後ろ-「あっ!」,<π>

「Aha!」
<π>
(音とことば,宇宙と一致)
2007-2011

“Haiku”
(警 句)

“古池や 蛙とびこむ 水の音”
(ピカソの天才)

※ピカソ「二つの顔」(花 瓶)
※ルビンの図 地反転図形 (Rubin,1921)
※松尾芭蕉
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.07.26(火)
【2675】
≪間と響≫

-2-
(序)


“心と二重螺旋”
(左:オートマチック,中:ツイスト,右:リニアモーター)

(2005)

波 

※〔五臓と脈〕〔五季の脈象〕東洋医学

<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.07.25(月)
【2674】
≪間と響≫

-1-
(急)

“心から生まれ−願わくは再び−心に至らんことを!”
ベートーヴェン
L. van Beethoven

(こころとしぜん)
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.24(日)
【2673】
≪間と響≫

-1-
(破)

“心から生まれ−願わくは再び−心に至らんことを!”
ベートーヴェン
L. van Beethoven

(こころとからだ)
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.07.23(土)
【2672】
≪間と響≫

-1-
(序)

“心から生まれ−願わくは再び−心に至らんことを!”
ベートーヴェン
L. van Beethoven

(こころとことば)
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.22(金)
【2671】
≪間と響≫

-3-
(急)

“心から生まれ−願わくは再び−心に至らんことを!”
ベートーヴェン
L. van Beethoven

(ことばとこころ)
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.21(木)
【2670】
≪間と響≫

-3-
(破)

“心から生まれ−願わくは再び−心に至らんことを!”
ベートーヴェン
L. van Beethoven

(ことばとからだ)
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.20(水)
【2669】
≪間と響≫

-3-
(序)

“心から生まれ−願わくは再び−心に至らんことを!”
ベートーヴェン
L. van Beethoven

(ことばとしぜん)
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.19(火)
【2668】
≪間と響≫

-2-
(急)

図 

“ブリッランテ”
(brillante)

“乱 流”

“トーラス”

“円”

“点”
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.07.18(月)
【2667】
≪間と響≫

-2-
(破)

図 

“悲劇と喜劇”

○この世は,考える人たちにとっては喜劇であり,
感じる人にとっては悲劇である
ウォルポール『書簡集』

○人生はそれを感ずる人間にとっては悲劇であり,
考える人間にとっては喜劇である
モラリスト・ラ・ブリュイエール

○われわれは人生という大きな芝居の熱心な共演者だ
カサッロ『指導と信徒』
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.17(日)
【2666】
≪間と響≫

-2-
(序)

図 

微分・積分
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.16(土)
【2665】
≪間と響≫

-1-
(急)

「泉」

Canon
(2005)

「泉」
◎無限性と有限性
(連続と無限)
  
(2006)

<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.15(金)
【2664】
≪間と響≫

-1-
(破)

図 

“ニュートン”דゲーテ”
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.07.14(木)
【2663】
≪間と響≫

-1-
(序)

“不死鳥”
(2008)


“ホムンクルスとリリパット”

“死人が出ると,その頭を真下に向けて葬る。一万千月たつと死人はすべて蘇る,そしてそれまでに大地(彼らは地球を平坦なものと考えている)が一回転して逆になっている,したがって復活の際には死人は足を地につけて直立していることになる,と信じ込んでいるからである。学問のある連中はそんな馬鹿げた話はないと言っているが,それでも俗言を棄てきれぬ庶民には抗しきれずに,こういった埋葬のしきたりは依然として続いている。 『ガリヴァー旅行記』スフィフト作 平井正穂訳 P66より”
“ホムンクルスとリリパット”
◎縮尺と顚倒
(連続と円環)
<1/4>
(4/4)
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
Tasting & Imagination™

Art of Life; 2011.07.13(水)
【2662】
≪間と響≫

-3-
(急)

<椀の中の椀>
<椀の中の椀>
(2009)


“鏡 面”


ジョン・ケージ
John Cage
1912 9.5-1992 8.12
『4分33秒』
273(秒),絶対零度
零 度(表徴とアルキメデスの原理)
“零 度”
<表徴とアルキメデスの原理>
(2009)


“表徴とは裂け目である。
そのあいだから覗いているものは,ほかならぬ
もう一つの表徴の顔である”
『表徴の帝国』
ロラン・バルト P77 より

※宝誌和尚立像
西往寺

<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
※(即興劇)⇒喜劇(悲劇の間)⇒( )幕間劇
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Art of Life; 2011.07.12(火)
【2661】
≪間と響≫

-3-
(破)
 
(2005)

さくらはな
ちりぬる風のなこりには
水なきそらに
なみそたちける
紀貫之
×
(弓と禅)

“自立神経”

【控】という字は,手と,音符空コウ
(かけて曲げる意→拘コウ)とから成り,
〔説文〕弓を引くこと,また矢の落ちることをいい,
また馬を引くことにもいう。

ひいてわが国では「ひかえる」とよんで,
人を待ち,またことに備えることの意だそうです。

ガリヴァーは,世界とのズレ(身長)は12対1でした。

旅した距離が時間を縮め,巨大化した空間は,怪物となる?

はるか遠くの音が,たまに近くに聴こえることがあります。
時・空にとっての,毒龍と弁財天の妙神(化身)のように,
それは清浄な心の(十三夜)の鏡面(霊0湖)に響いた音なのかもしれません。

※隆起した怪物(悠久の昔の物語) 参考として: 歌川国芳 「相州江之嶋之図」,
(美女と手綱と荒馬): 「近江の国の勇婦於兼」
<2/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.07.11(月)
【2660】
≪間と響≫

-3-
(序)

図

“怪 物”
(金:昇龍・銀:降龍)

“交感神経”と“副交感神経”
<1/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.07.10(日)
【2659】
≪間と響≫

-2-
(急)

“純粋持続”
2005-2007


“純粋持続”
「存在」と「認識」
<3/4>
デザイン)・(ライフ)・(アート
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Art of Life; 2011.07.09(土)
【2658】
≪間と響≫

-2-
(破)

※カヴァリエーリ
(Bonaventura Cavalieri,1598-1647)
混沌と青空と湧水

(知覚および解釈と視点の移動)
※オスカル・レウテルシュヴェド 「3または7柱構造」参考として
オスカル・レウテルシュヴェド 「3または7柱構造」
“人は地に法り,地は天に法り,天は道に法り,道は自然に法る”
『老 子』 より

 

“自然と自由”
<混沌と青空と湧水>
2007-2011
<2/4>
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Art of Life; 2011.07.08(金)
【2657】
≪間と響≫

-2-
(序)
「由」―「宙」―「軸」
(2011)
バランス
“円錐と球と円柱”
(1:2:3)


“モビールと円錐と球と円柱”
(座 禅)
<1/4>
(4/4)
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Art of Life; 2011.07.07(木)
【2656】
≪間と響≫

-1-
(急)

<カウボーイと手綱と輪> 2007
<カウボーイと手綱とわっか(輪)>
(一見矛盾した三つの繋がり)
2007

“般若心経”
(音読と暗唱と無限;フロー)


“メビウスの帯と茅の輪くぐり”
<3/4>
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Art of Life; 2011.07.06(水)
【2655】
≪間と響≫

-1-
(破)

 
17世紀 ペルシャ 「四つの馬」

100÷4=25,
49÷25=1.96,
1.96×100=196,
196÷4=49,
49×4=196,
4×25=100


“思考の回転木馬”
(数 式)
<2/4>
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Art of Life; 2011.07.05(火)
【2654】
≪間と響≫

-1-
(序)

ピタゴラスの定理と証明
“ピタゴラスの定理と証明”


“直感と証明”
(和 算)
<1/4>
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Art of Life; 2011.07.04(月)