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●制作ノート “発想の源=言葉の断片?” それが全てではありませんが‥

ほぼデイリー!
“デイリー・リサイクル”
“T&I制作の際 どこか頭の片隅にあった★言葉の断片を書き出しています。”
だったんですが‥,日に日に時は過ぎて行ってしまうものです。
上手く新陳代謝していくためにも,これからは
関連性のありそうなnew☆最近の情報も交えてアップしていきたいと思います。
今後も★☆一日1つをテーマに一歩一歩,成長(勉強),更新!
◎作品との関連性を楽しんで頂いたり,
訪問して頂いた貴方のイマジネーションを掻き立てる,何かのヒントになれば幸いだと思います。
‘◎ふとしたきっかけで 「はッ★!」,ヒラメキ座が思考の天空に“誕生”する。
それは★の一つ一つのが関連性をもって“繋ながる”瞬間だ!’

※余談になりますが,豊かな感受性を育てる理由の1つとして,
その★!的中率を上げる目的があるのではないか‥,と思った。2004.05.30


オンライン書店bk1  Amazon.co.jpアソシエイト  楽天ブックス  KINOKUNIYA BOOK WEB  BRUTUS ONLINE

 ★【100】われわれソシュールから学んだのは,記号というものが,ひとつずつでは何ごとも意味せず,それらはいずれも,或る意味を表現するというよりも,その記号とのあいだの,意味のへだたりを示しているというよりも,その記号自体と他の記号とのあいだの,意味のへだたりを示しているのである。これら他の記号についても同様のことが言いうるわけだから,国語は,明辞を持たぬさまざまの差違によってできているわけだ。もっと正確に言えば,言語における名辞とは,各名辞間にあらわれる差異によってのみ生み出されるのである。
〔『ソシュール』 ジョナサン・カラー(著)より抜粋〕 2004.06.21
『ソシュール』(amazon.co.jp)

 【99】霧とイマジネーション(見えると見えない,その狭間に立ち上がる,それは…)
今朝は雨‥昨晩の洗濯物も気がつけば乾くどころかすっかりびしょ濡れ状態。
窓を開けると目の前は霧の幻想世界。
それを眺めていると微かではあるが木や建物のエッジが浮き上がってくる。
そこから広がるのはイマジネーションの世界。

霧

と,その瞬間,
杉本博司 Architecture of Time(写真集) http://village.infoweb.ne.jp/~blitz/b_226.html

のことを思い出す。まだ購入はしていないが,きっとこんな日常からのインプレッションを受け,それをわざと“ぼかし”というテクニックで再表現した作品ではないかと勝手に思っていると,今と,実際にその写真と向き合った時では,どんなギャップがそこに生じるか楽しみでしかたがない。
わずかではあるがイマジネーションの意味が理解できたような朝だ。朝だった。

〔Art of Life; 2003.11.25 日記より 〕 2004.06.20 ※追記 今朝もあの日と同じよな朝でした。

 ★【98】

 ★【97】オリジナルとは,『いま』 『ここに』 しかないという一回性のことであり,この一回性とは伝達不可能(discommunication)ということでもある。
 『あのとき』 『そこで』 何かがおこり,それが何等かの記号的手段により記号的世界に表現されたとすれば,その場合には伝達可能であり,解釈されうるわけであるが,それが解釈されたとき,それは既に,もとの一回性を喪失しているのである。
 ベンヤミンのいう複製(コピー)とは,オリジナルに対する概念でありオリジナル芸術とは,それ自体で完結した記号的世界を指しているわけである。
〔『視覚伝達論』遠藤邦武(著)より抜粋〕 2004.06.19
「只今」
≫15 永遠の印 (テイスティング&イマジネーション)

 ★【96】道元は自分にいい聞かせる覚悟のことばを,後に弟子たちに次のように示します。
学道の人は後日を待て,行道(ぎょうどう)せんと思ふことなかれ。只今日今時(ただこんにちこんじ)を過ごさずして,日々時々(にちにちじじ)を勤むべき也。(「随聞記」) 「仏道を学ぼうとする者は,後日を待って修行しようと思ってはならぬ。ただ,今日ただいまの時を空しく過ごすことなく,今日今日・今今(きょうきょう・いまいま)につとめ励むがよい」と。
〔『道元』 松原泰道(著)より抜粋〕 2004.06.18
「只今」
『道元』(株式会社アートデイズ)
 【95】客観視
都市というものが,テイファニーでも何でもいいが,高級百貨店のショーウィンドウのように感じる時がある。
最近ではそのショーウィンドと上手く付き合える(囚われない)ようになってきた,そんな感じがする。
じゃ,代わりになにを眺めだしたかといえば自分,自分らしさとは?に目を向けるようになってきた,のではないか。
‥自己を観る。

〔Art of Life; 2003.10.22 日記より 〕 2004.06.17


 【94】同じ心境になって思い出すことがある。
同じ立場になって分かることがある。自己を観る‥

TV Buddha

TV BUDDHA 1975-82 (仏像,ビデオ・カメラ,土の山に埋められた受像器)
◎仏像が静かに自己鑑賞 Photo.Petr Moore
※これはナムジュンパイクという人の作品です。作品にすることでかえって分かりやすくなることがある。

〔Art of Life; 2003.10.23 日記より 〕 2004.06.16


 ★【93】しかも実に興味深いのは,そうした日本の超常現象が独自の風土に密着するきわめて日本的な表れをみせながら,同時に海外で起こった同種の出来事ともその本質において共通し,どちらも民族,国境を超えた,ある種の普遍的現象の一部であることを暗示している。
 普遍的であると同時に日本的なのは他に文学や芸術の領域でもいえることだが,では一体それらの不可思議な超常現象の背後に隠れた本質とは何なのか。科学的に未確認の現象をいうこともさりながら,それ以上により確実なのは人間おのれ自身の内部にあって,それと気付ぬ未照射な部分,厖大な暗領域の存在の自覚ではないか。
 すべての根源はそこにある。
 所詮,科学というも文学というも,この厖大な暗領域のほんの一部を理解したにすぎず,やっと理解したその分だけ実は全世界を,あるいは人間自身を理解したと思い上がっているのであれば,その救い難い傲慢さ無知無加減,まさにソクラテスの時代から一歩も出ていない。
 したがって現レベルの学問知識を遥かに超える超常現象の存在と,それへの理解は,迷信の復活とか人間の知性の否定では無論なく,むしろそうした知性至上主義に対する,あるいは傲慢な知性の暴走そのものに歯止めをかけ,病める人間性の全的バランスを回復するための,きわめて切実な現代的欲求をその裏に秘めているともいえよう。
 つまり超常現象への理解は,とりもなおさず人間おのれ自身,その隠れた本質理解への王道に繋がるのを悟るのである。
〔『怪奇現象博物館』 J・ミッチェル+R・リカード(著)より抜粋〕 2004.06.15
『怪奇現象博物館』(bk1)
 【92】感動を伝えたい!
恋人でもいい,友達でもいい,家族でもいい
綺麗なもの,美しいものを見たとき,この体験を,この素晴らしさを
「見せて・あ・げ・た・い・!」
「体験させて・あ・げ・た・い・!」

庭石

大観山
そんな気持ちにしぜんとなる。
そんな素直な気持ちからこそ,そんな純粋な気持ちからこそ
真のコミュニケーションというものは生まれてくるのではないか?
感動を伝えたい。昨日は,そんな一日だった。

※追記 その時,最初に頭に浮かんだ人が,貴方が今一番気になっている,気にしている大切な人の存在なのではないでしょうか?と思ったので… 2004.06.20
〔Art of Life; 2003.10.30 日記より 〕 2004.06.14


 【91】庭 石
今朝は庭石も雨に濡れ,どことなく気持ちがよさそうだ。
“花も美しい 月も美しい それに気付く心が美しい” (名前は忘れてしまいました。禅寺?の僧侶のお言葉です。)

庭石

〔Art of Life; 2003.10.28 日記より 〕 2004.06.14


 【90】「生きてるって感じだ!」
“朝露の付く野に咲く花は,朝日に照らされ輝いている。

野に咲く花

〔Art of Life; 2003.10.23 日記より〕 2004.06.14


 ★【89】高価なものが美しいのは当たり前であるし,そうでない粗末な簡素なものにこそ美を見出し,あるいは美しくすることによって初めて芸術が生まれるのである。同様に,毎日の生活において些細な事柄に美を見出し,日常のわずらわしさからのがれる。つまり,この世において喜びを見出すことによって,天心の言う“アート・オブ・ライフ(生きる技)”が生まれ,宗教が生まれるのである。
〔『「茶の本」鑑賞』 立木智子(著)より抜粋〕 2004.06.14
≫13 ピュアドロップ(テイスティング&イマジネーション)
『「茶の本」鑑賞』(淡交社)
 ★【88】「完全そのものではなく,完全に至る過程に重きを置く」
〔『「茶の本」鑑賞』 立木智子(著)より抜粋〕 2004.06.14
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション)
≫07 夢見るマジシャン(テイスティング&イマジネーション)
カード(テイスティング&イマジネーション)
NaviGuide あとがきとして(テイスティング&イマジネーション)
『「茶の本」鑑賞』(淡交社)
 ★【87】1919年にはa Japanese harmony of art, culture & the simple life という副題が付けられてエディンバラおよびロンドンのTNフォース社から出版されている。おそらく書評で指摘されたように『茶の本』という本の題名が茶そのものについてくわしく述べられているものだと誤解されやすいので,本文の内容に合わせた形で,副題が付けられている。そしてこの副題がなんと適切な副題であるかと驚く。副題を直訳すれば,日本の芸術と文化が融合された生活,ライフスタイルそのものを扱っていると理解されているのである。
〔『「茶の本」鑑賞』 立木智子(著)より抜粋〕 2004.06.14


『「茶の本」鑑賞』
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション)
≫07 夢見るマジシャン(テイスティング&イマジネーション)
カード(テイスティング&イマジネーション)
NaviGuide あとがきとして(テイスティング&イマジネーション)
『「茶の本」鑑賞』(淡交社)
 ★【86】人の心はいわばイメージ・タンクであって,つねにイメージを浮かべては,そのイメージを働かせて生活していると考えるとき,そうした習慣が,ロールシャッハ・テストをも可能にするといえよう。  ―イメージの世界は,人が正常に日常生活をつづけるとき,その無意識的な習慣性のために,かえって見えにくい。ここでは貴重な症例を引用して,イメージの世界が,それ自身の運動様式を持つ独自の世界であることに注目した。フロイトやユングが指摘したように,イメージの世界は,私たちの内的現実である。
 すると周知のように,私たちを生かしている外的世界=外界は,それ自身の内容とそれ自身の運動様式を持つ独自の世界である。私たちは知覚を介して,外界と不断の交渉を保っている。したがって,私たちの精神作用は,外界―知覚―イメージ界(内界)という図式によって表現される。この図式は,外界と内界,心と身体といった,これまでの習慣的な論理構造を示すと同時に,感覚遮断実験やLSD服用実験の意味を示すものである。
〔『イメージと人間』より抜粋〕 2004.06.12


『イメージと人間』
≫A そもそものはじまり(テイスティング&イマジネーション)
≫B (『芸術の原理』)(テイスティング&イマジネーション)
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
≫03 真夏のデザート(テイスティング&イマジネーション)
≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション)
≫09 Metamorphose/ブルーからクリーム色へ(テイスティング&イマジネーション)
≫10 ランチの後のテーブルで(テイスティング&イマジネーション)
≫12 都会のプディング(テイスティング&イマジネーション)
≫13 ピュアドロップ(テイスティング&イマジネーション)
≫14 主観の世界(テイスティング&イマジネーション)
≫A´ あとがき(テイスティング&イマジネーション)
『イメージと人間』(NHK出版)
 ★【85】本作品を見て強い印象を与えるのは,何より絵画の前景に広がる「枠」の存在であろう。開口部(半開きになったドアだろうか)から部屋のなかをのぞき込むような場面設定によって,この室内がもつ私的性格が一層強調され,と同時にそれをのぞくというひそやかさが深まる。フェルメール自身,すでにドレスデンの作品(fig.1)において,前景にカーテンを置くことでこのような構図を試みていた。
〔『レンブラント,フェルメールとその時代』より抜粋〕 2004.06.12


『レンブラント,フェルメールとその時代』
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション)
≫14 主観の世界(テイスティング&イマジネーション)
『レンブラント,フェルメールとその時代』(国立西洋美術館)
 ★【84】能面は,周知のように能楽に使われる仮面(マスク)で,用途を離れてその真価を問うことはできないが,今日その能面が世界的な評価を得ているのは,それ自身の美的要素によって,独自に芸術作品として鑑賞に耐えうる一面をもつからである。 能楽は,もと神学や,田楽,猿楽などから発達して,室町時代に完成されたわが国固有の歌舞劇で,シテと呼ばれる主演者だけが仮面をつけ,脇役(ツレ)は素面で演じる。仮面をつけるのは主演者が幻想中の人物であることをあらわすためで,ツレが素面で演じるのは,シテの幻想に対する現実の意味が持たせてあるからである。したがって能面の美は,本質的に幻想的な美であることに留意する必要がある。
 52図は,河内作<深作>と呼ばれる能面で,苦悩を内に秘めた沈んだ表情に激艶な美しさを感じさせる中年女の面(おもて)である。  53図はその解析図である。図示の通り,顔面の長さと幅の関係は黄金率の比例で見合っており,両眼の中心線すなわち正中線から頭頂までと,頭の下までの割合も正確な黄金比に作られ,端正で秀麗な顔立ちを呈している。
 この写真は,用途を離れて正面から見た容貌であって,換言すれば,中年の美女の基本的な相として作られており,演者がこれを顔面に置いて行動すれば,面の機能として,瞬間,瞬間に表情を変えるわけである。
 用途が幻想的であることと,ある特定の人物の基本的容貌であるという,この二つの点に対して,面のフォルムに与えられた黄金比が,主要な美の要をなしていることはいうまでもなかろう。
〔『続 黄金分割』より抜粋;写真(52図 深井,53図 同左解析図):本文より〕 2004.06.11


52図 深井,53図 同左解析図
『続 黄金分割』(amazon.co.jp)
 ★【83】例えば,西洋の芸術は「美」に規則性や法則性を求める結果,科学的,論理的な考察が繰り返された末に,線,ボリューム,色,光,運動,語音,楽音をいう基本的な要素のもと,デッサン,建築(彫刻),絵画,映画(写真),舞踏,文学(詩),音楽といった個々の分野を確立させ,あるいはミックスされた様々な芸術を生み出してきました。
 これに対して,日本を含む東洋では,先にも述べたように,人間の知覚や感覚によっては把握することができず,流動変化して,一瞬も止まることのない「無」に等しい,大自然の力,法則というものを意識して,見えざる力のもとにつくり出される多種多様な世界への感動を芸術として表現してきました。
このように,東西の芸術家は,それぞれの思考法,表現方法を用いて,大自然や人間の本質を求め,時代とともに,より高いレベルでこれを表現できるまでになってきました。
 ……
〔『美の世界を求めて』より抜粋;写真: 「瀟湘夜雨」 横山大観,本文より〕 2004.06.10


「瀟湘夜雨」 横山田大観
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
 ★【82】古代の人は,芸術家の仕事は自然を写す鏡をつくることである,と考えてきました。彼らは,芸術を単なる自然の模倣としてとらえていたようですが,実際の芸術は,不思議の国のアリスの鏡のように,それ自身が不確実さを持つおもしろさに満ちたものとして発展してきました。伝説の中の秩序と無秩序の緊張関係がこの新たな鏡を通して蘇ってきたのです。たぶん,近い将来,自然科学や社会科学が芸術と結びついて,この不思議な宇宙を映す鏡を共同でつくろうとする働きが始まることでしょう。
〔『鏡の伝説』J・ブリックス+F・D・ビート(著)より抜粋〕 2004.06.08


『鏡の伝説』
『鏡の伝説』(amazon.co.jp)
 ★【81】グラフィックデザインの目的はメッセージを人に伝達することにある―肝心なのはこれだけだ。「メッセージ」とは,文章を書いた人間やイラストの制作者が作品に潜ませて,最も強く訴えたい思いである。つまり,そこでグリッドデザイナーの個性が目立ってはいけない。
 グリッドは,デザイナーの個性と読者の間に立つスクリーンのようなもので,メッセージの最終的な受信者にとってマイナスとなる,わずかな集中力の途切れや処理能力の不足を補うものである。グリッドには,意味のない変化や工夫を排除する働きがある。デザイナーが良かれと思ったことでも,それは単に,読者とメッセージの間を邪魔しているにすぎない。グリッドはヨーロッパ特有の表現方法ではないし,特定の言語を密接に関係するものでもない。グリッドは単なる伝達体系の一部にすぎず,グリッドの応用は万国共通である。
〔『grids』アンドレ・ジュート(著)より抜粋;写真:本文より〕 2004.06.08


『grids』
『grids』(株式会社BNN新社)
 ★【80】そういう意味では資本主義というのは強力で,すべてを規格化・シリーズ化して反復可能にするという操作をどこまでも貫徹する。ディズニーのモダニズムはそれを象徴するものなんですね。
〔『天使が通る』浅田彰,島田雅彦(著);浅田彰より抜粋〕 2004.06.07


天使が通る
≫06 ファンタジー・ワールド(テイスティング&イマジネーション)
『天使が通る』(kinokuniya bookweb)
 ★【79】以前,ナム・ジュンパイクに会ったとき,彼がこんなことをいっていましたっけ。「どうしてアメリカにはシュルレアリズムが生まれなかったと思う?それはね,シュルレアリズムが出てくる前に,もうウォルトディズニーができちゃったからなのさ。」アメリカのアーティストたちは,ヨーロッパのシュルレアリスムたちのとったようなラインを追求したって,もうその前にディズニーがおんなじことを,もっとポピュラーなかたちでやっちまっていては,もうお手上げだって感じたんだろうな。それに,そのころアメリカで,芸術家なんてよべる人間はほんのひとにぎりしかいなかったわけだからね(笑い)。でもシュルレアリスムの表現がオカルティックな女性性をとおしておこなわれたんじゃなく(ナジャ!)フラストレーションのかたまりみたいなアヒルのドナルドや,ボーイスカウトの鼻もちならない指導員のようなネズミのミッキーによって実行されたということは,いずれアンディ・ウォーホルのようなアーティストを生むことになるアメリカの芸術のラインに決定的な影響をあたえたと思うんだ。
〔『銀星倶楽部 07;バロウズplusビートニク』中沢新一記事より抜粋〕 2004.06.06


『銀星倶楽部 07;バロウズplusビートニク』
≫06 ファンタジー・ワールド(テイスティング&イマジネーション)
『銀星倶楽部』
 ★【78】早い話,場所に関するとは地図や見取り図に,時間的なことはカレンダーやスケジュール表の形にしてみるとよくわかるはずです。視覚的に表現し直すと,物ごとの構造が格段に深く認識できようになるのです。
〔『図で考える人は仕事ができる』久恒啓一(著)より抜粋〕 2004.06.04


『図で考える人は仕事ができる』
『図で考える人は仕事ができる』(amazon.co.jp)
 ★【77】『これはパイプではない』M・フーコー Ceci n'est pas une Pipe
R・マグリットの同名の絵画作品を分析したミシェル・フーコーの絵画論。当初この論考はフランスの映画誌『カイエ・デュ・シネマ』に掲載されたが(『美術手帖』1969年9月号には、宮川淳によるその版からの抄訳が掲載されている)、その後改訂と増補を経て、73年に単行本として刊行された。キャンヴァスにパイプのシルエットを描きつつ、「これはパイプではない」と人を食った題をつけたマグリットの意図から、フーコーが考察するのはresemblance(類似)とsimilitude(相似)の差異であり、両者の差異の因子を「物はお互いの間に相似を持たず、相似を持つか持たないかのどちらかなのです……類似していることは思考だけの持ち前です」(同訳書102頁)と「思考」の有無に見出している。この「類似」と「相似」の相違は、「オリジナル」と「コピー」、「原典」と「翻訳」の関係などさまざまな問題へと展開する契機を孕んでおり、すでに多くの解釈が提出されている。小品だが、精巧な絵画論であると同時にポレミカルな思想書ともなっている名著である。 (暮沢剛巳)
(邦訳=豊崎光一+清水正訳、哲学書房、1987)
〔アートスケープより, 写真 左:“これはパイプではない ”『Marcel Broodthaers』より, 写真 右:“二つの謎” 『ゲーテル,エッシャー,バッハ』より〕 2004.06.03


『これはパイプではない』 『二つの謎』
『これはパイプではない』(アートスケープ)
 ★【76】ところでこの胎生にも,やはり障壁が横たわる。胎内での成長には無理があるので,早めに出なければならぬ。この様子は,哺乳類の元祖「有袋類」で,その見本を見ることができるであろう。まだ小指の先にも満たない赤ん坊が,肛門と尿道と産道を兼ねた総排泄口からはい出して,下腹をよじ登り,腹壁の襞でできた育児袋に入って,そこで乳首の一つと繋がってしまう。まるで臍の緒で繋がるように。ボルトマンはこれを「生理的早産」といったが,この悪条件を補うのが,こうした乳首を備えた育児袋の装置であることはいうまでもない。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.03
≫01-b Epilogue “不完全”(完成させるための作品)(テイスティング&イマジネーション)
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【75】日本人は自然の音を左の言語脳で聞くらしい。これは,欧米人が,たとえば虫の音を一種の“雑音”として右の音楽脳で受け止めるのと対照的です。むかしから自然の風物を“語りかける友”として眺めてきた日本人の生理を初めて自然科学的に実証したこの研究は,こころにしみるような業績ではないでしょうか。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02
≫A´ あとがき(テイスティング&イマジネーション)
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【74】懐かしさというものは「いまのここ」に「かつてのかなた」が二重映しになったときにごく自然に湧き起こってくる感情であろう。印象像と回想像が重なり合ったときの情感といってもいい。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02
≫A そもそものはじまり(テイスティング&イマジネーション)
≫03 真夏のデザート(テイスティング&イマジネーション)
≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション)
≫14 主観の世界(テイスティング&イマジネーション)
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【73】わたしたちは母胎のなかで,いわゆる十月十日の間,羊水に漬かって過ごす。そこでは,この液体が,胎児であるわたしたちの口のなかはもちろん,鼻のなか,耳のなかなど,およそ外の通じるすべての孔に入り込み,からだの内外をくまなく潤い尽くす。  …“羊水漬け”……。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【72】この羊水は,だから,産み落とされた卵のなかにはではなく,いまや子宮のなかを満たす。こうして,ついに母胎のなかにすでに古代の海が宿されることになるのである。「海をはらむ族」が哺乳類の別名といわれるゆえんであろう。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02
≫12 都会のプディング(テイスティング&イマジネーション)
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【71】こうして,いつとはなしに肌身にしみ込んだその顔を,人びとは「おもかげ」とよぶ。古くは「まぼろし」といったが,今日では「イメージ」のことばが使われ,形態学の世界では「根源の形象」,略して「原形」とよばれる。わたしたちはこうした原形を,身近の者から,しだいに遠くの者へ,深浅さまざまに瞼に焼き付けながら,それぞれを間違いなく識別していく。それは知覚の基盤をなすものでなければならない。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
≫03 真夏のデザート(テイスティング&イマジネーション)
≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション)
≫08 カエルのグリル(テイスティング&イマジネーション)
≫09 Metamorphose/ブルーからクリーム色へ(テイスティング&イマジネーション)
≫10 ランチの後のテーブルで(テイスティング&イマジネーション)
≫14 主観の世界(テイスティング&イマジネーション)
≫15 永遠の印 (テイスティング&イマジネーション)
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【70】伝統的仏教では,性滅無常の彼岸から,この二度と死ぬことのない彼岸に向かって塔は天を目ざす。これらの世界に共通するものは,前者の「涅槃」の本義が示す「絶対の無風の状態」であり,図象で示せば,後者の波のない「無常に伸びる直線」とならねばならなるまい。ともに,この宇宙には存在しえない,それは大脳皮質の産み出した宿命の観念と思われる。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02
≫11 天使の卵(テイスティング&イマジネーション)
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【69】こうして,細胞のもつ生命記憶の世界を共通の舞台をして,胎児の世界と夢の世界とがにわかに近縁のものとなってくる。両者ともに,その記憶が生命の奥底からむくむくと頭をもたげてくるのだ。これが,「深層」とよばれるものの正体であろう。このような生命記憶の,前者が一系の乱れぬ“再現”であるとすれば,後者はいうなれば酔狂の“再燃”か。ともに,遠いかなたが,現実に翻然(ほんぜん)とよみがえってくるのである。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02
≫13 ピュアドロップ(テイスティング&イマジネーション)
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【68】食から性への位相転換は,動物には親の死を,植物に葉の枯れをそれぞれもたらす。そこでは,だから,蟷螂の死があかも枯れるがごとき尋常の姿として映し出される。ただ位相が変わったそれだけしかもこれが,四季の流れに沿った永遠回帰の一コマとして描き出される。「いのちの波」の本質をこれほど端的に示した世界はあまりないだろう。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02
『テイスティング アンド、 イマジネーション。』(テイスティング&イマジネーション)
カード解説(テイスティング&イマジネーション)
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
カード(テイスティング&イマジネーション)
≫01-b Epilogue(テイスティング&イマジネーション)
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【67】日常の言葉で言えば,睡眠中に内臓感覚が,かつて体得した出来事を夢のなかに呼びさますのである。この「体壁記憶」は久作自身も強調するように,臍の緒を切って以後のものだけでなく,生命発生いらいのすべてを包含し,さらに次章で述べる宇宙的な「内臓記憶」までを糾合するので,夢を構成する全細胞記憶の分量は,まこと厖大なものとなるのでなければならない。わたひたちの夢のなかでは,たれしも経験があるように,これらが自由奔放に,しかも不可解に組み合わされ,ときに天馬空を行くがごとく,ときに支離滅裂に,始めも終わりもなく湧き起こり,そして消えていく……。これが夢野久作の目に映った夢の秘密であった。
〔『胎児の世界』三木成夫(著)より抜粋〕 2004.06.02


胎児の世界
『胎児の世界』(amazon.co.jp)
 ★【66】創造するには,見かけにつられてはいけなということですね。それは納得するとか,本当にそうなのかと吟味するとか,批判的に見てみるとか,それから表象の仕方ですね,略図的に表現してみたり,エイゼンシュタインのモンタージュ技法のように色々な視点を組み合わせることが必要になるでしょう。それはVRのような単視点的なものとは全く反対のものですね。
〔『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』;佐伯 胖より抜粋〕 2004.06.01
 ★【65】VRは意味が分かるということにおいては全然使えないわけです。そういう時には簡単な,略図的な表象図の方がよく分かる。それに関連する意味が見やすくなる。これはD.A.ノーマンという人がおこなった研究ですが,アメリカの南北戦争を子供が学習していくときに,非常に正確な地図を使って解説するのと,四角と三角みたいな極端に簡略化した地図でおおざっぱに「こう攻めるときに,川があったから,こう曲がって進んだ」みたいな考えかたをしてどっちが理解が深いか調べたんです。すると,圧倒的に略図の方が理解が深かった。意味が分かるんです。なぜあそこで失敗したかっていうと,それはここがこうなっていたからじゃないかとか,推論できるんですよ。ところが実際に細々とした情報がみんな入っている「詳しい」地図をみてもそれは分からない。我々が本当に意味を理解しようと思ったら,略図で理解するほうがはるかにいいんですな。
 だから,ハイビジョンでも気をつけてもらいたいのは,あれは吟味するためのものではないということです。意味を吟味しようと思ったら,リアルそっくりではダメだとうことですね。紙に鉛筆でいろいろ図式を描いたり,ことばで表現してみたり,記号で考えたり論理で考える。したがって,多様な,色々な意味での抽象度というか表象の仕方,略図的なものから言葉で表現したものまで,それを連続的に考えてもらいたい。
〔『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』;佐伯 胖より抜粋〕 2004.06.01
 ★【64】能の舞台などで舞台に置かれた一本の紐に多様な意味を見いだしたりする,そういったものにリアリティを感じるというのは,実際に入力される情報が少ないから我々の方で作り出すわけです。
〔『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』;佐伯 胖より抜粋〕 2004.06.01
 ★【63】現実の世界を表象するにはいろいろな表現方法がある。記号,言葉,数式,略図,などなどです。我々はそういう多様な表現を通して「本当は何なのか」を認識している。
〔『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』;佐伯 胖より抜粋〕 2004.06.01
 ★【62】そこで認識に必要なのは「吟味」ということです。ここで「吟味」と言っているのは,ギブソン心理学でいう「直接知覚(direct perception)」のように瞬時で生起するものもある。要するに,関連する多種多様な情報がネットワークとして相互に関連付く,ということです。我々の持っているさまざまな既有知識や,他からの見え,いろいろな視点を統合して見るといったことなんです。ところがVRの場合は単視点的なんです。
〔『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』;佐伯 胖より抜粋〕 2004.06.01


錯視工学としてのヴァーチャル・リアリティ
≫@ ☆ヒラメキの瞬間とは!(テイスティング&イマジネーション)
≫A そもそものはじまり(テイスティング&イマジネーション)
≫B (『芸術の原理』)(テイスティング&イマジネーション)
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
≫02 ママからの宿題(テイスティング&イマジネーション)
≫03 真夏のデザート(テイスティング&イマジネーション)
≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション)
≫05 地球の剥き方(テイスティング&イマジネーション)
≫06 ファンタジー・ワールド(テイスティング&イマジネーション)
≫07 夢見るマジシャン(テイスティング&イマジネーション)
カード(テイスティング&イマジネーション)
≫08 カエルのグリル(テイスティング&イマジネーション)
≫09 Metamorphose/ブルーからクリーム色へ(テイスティング&イマジネーション)
≫10 ランチの後のテーブルで(テイスティング&イマジネーション)
≫11 天使の卵(テイスティング&イマジネーション)
≫12 都会のプディング(テイスティング&イマジネーション)
≫13 ピュアドロップ(テイスティング&イマジネーション)
≫14 主観の世界(テイスティング&イマジネーション)
≫15 永遠の印 (テイスティング&イマジネーション)
NaviGuide あとがきとして(テイスティング&イマジネーション)
≫01-b Epilogue(テイスティング&イマジネーション)
≫A´ あとがき(テイスティング&イマジネーション)
『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』(三月書房)
佐伯 胖(サエキ ユタカ)
 ★【61】ヒトの脳を,入力装置ととりあえず見なす。それに異論が出る場合もあるが,その場合には,以下の議論はしないで済む。話は別な方向に行くからである。私が理解するかぎり,素朴なヴァーチャル・リアルティとは,この入力装置の人工化である。そのことについて,さまざまなことが理解できる。
〔『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』;養老猛司より抜粋〕 2004.05.31
『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』(三月書房)
 ★【60】脳への入出力の管理で,注目すべき点は,超正常刺激であろう。これはもともと行動学的な概念である。動物は一般に,刺激にたいして対数的に反応する。これをウェーバー・フェヒナーの法則という。あるていど以上,刺激が強くなっても,もはや反応のほうはさして増えない。そういう限度が来る。ところが,自然の状態ではそこまでの刺激が実際に存在するとは限らない。
 たとえば,具体的な例としてデスモン・モリスが挙げたのは,女性の乳首である。乳首の大きさを,性的刺激と考える,ところが,現実には乳房の大きさには限度があって,ある大きさを超えはしない。ところが,性的な刺激としては,自然に存在する限度に近い大きさが,むしろ性的な刺激としてはよく機能する。とすれば,女性の乳房は,進化の過程として考えれば,まだまだ大きくできるだろう。ということになる。本来これは,極端な性的ニ型の進化を説明するための議論である。したがって,一般的な生理にはかならずしも応用できない可能性が高い。しかし,ヴァーチャル・リアリティを支持する議論として,こうした「脳開発」型の議論が出てくるのは,当然であろう。
〔『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』;養老猛司より抜粋〕 2004.05.31
≫06 ファンタジー・ワールド(テイスティング&イマジネーション)
≫07 夢見るマジシャン(テイスティング&イマジネーション)
≫A´ あとがき(テイスティング&イマジネーション)
『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』(三月書房)
 ★【59】ヴァーチャル・リアリティの流行の背景については,当然の理由があろう。それは,社会そのものの人工化,私の表現で言えば,脳化である。ヴァーチャル・リアリティの背景は,われわれが採用してきた思想にある。すべての環境を人工化し,それによって,すべてを管理し統御する。ヴァーチャル・リアリティは,それを言い換えたものに過ぎない。環境という形で,間接的に脳への入出力を統御するか,もっと直接に,その入出力自体を統御するか。差があるとすれば,それだけであろう。
〔『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』;養老猛司より抜粋〕 2004.05.31


ヴァーチャル・リアリティとはなにか
≫06 ファンタジー・ワールド(テイスティング&イマジネーション)
≫A´ あとがき(テイスティング&イマジネーション)
『ur[ウル]no.6 ヴァーチャル・リアリティ』(三月書房)
 ★【58】『あたま山』(落語)
けちな男。もったいないからとさくらんぽの種子を呑み込んでしまった。この種子が、腹で育ち、頭の上に芽を出し、大きな桜の木になって花を咲かせた。大勢の人が花見にやって来て、頭の上でドンチャン騒ぎ。うるさくてたまらないので、ついに怒って、桜の木を引き抜いてしまう。抜いた跡に大穴ができ、水が溜り池になった。今度は、魚釣りが来る、船遊びと酒落こむ奴が来る。で、またもや大騒ぎ...
〔落語検索エンジン「ご隠居」より抜粋〕 2004.05.30
≫@ ☆ヒラメキの瞬間とは! (林檎が木から落ちた…)(テイスティング&イマジネーション)
NaviGuide あとがきとして (…いじけることだけは避けたいものだ。)(テイスティング&イマジネーション)
『頭 山』(第75回アカデミー賞,短編アニメーション部門ノミネート作)
『あたま山』(落語検索エンジン「ご隠居」より)
 ★【57】盲人・梅喜の見た夢は?
次の『心眼』は,盲人の悲哀を主題にした,すこぶる奥行きのある話。 按摩の梅喜は幼い頃に失明した。 だから,まだ目が見えた頃の世界の印象は心の底に懐かしく焼きついていた。 梅喜は盲目という障害はあったものの,なかなか美男で,仕事の腕もしっかりしていたので,花柳界などにも子顧客は多かった。家へ帰れば,やさしくて気のつく妻もおり,それなりに満ち足りていた。 ある日,梅喜は盲目であるというので,ひどいさげすみを受ける。 そこで,悔しさと昔見た世界へのあこがれとで,何とかして目が開きたいという思いがつのり,信心を始めた。 やがて,満願の日。最後の祈祷を捧げると,思いが天に通じてか,目が開いたのだ。さっそく,妻にも知らせようと,家へ帰る道々,懐かしく風景を見ていると,友人に出会った。喜びあいながら,ふと友人に,実は女房の顔はこれから初めて見るのだが,どんなふうだい,と問うた。すると,友人は,気立てはいいが,顔のほうは,という。 ともあれ家へ,と急ぐ途中,顧客の芸者に合った。芸者も彼の幸せを喜んでくれたのだが「目も開いたことだし,あんな奥様よりこの私を」と口説くのだ。梅喜は,さきほどの友人の言葉もあり,そのまま芸者に篭絡されてしまう。そして,ついには,邪魔者の妻を殺す密議をこらすまでになった。梅喜は家へ帰り,殺す殺さないの修羅場,叫び声,うめき声の中で「あんた,どうしたんだい,そんなにうなされて」と,やさしい妻の声。我に返れば,盲目のまま目覚め。「ああ,夢だったのか。恐ろしい夢だった。しかし,めくらというものは不思議なものだ,眠っている間はよく見える。」 この話は円朝の作だとされる。
〔『夢分析マニュアル』別冊宝島編集部(編)より抜粋〕 2004.05.29


夢分析マニュアル
≫@ ☆ヒラメキの瞬間とは! (林檎が木から落ちた…)(テイスティング&イマジネーション)
NaviGuide あとがきとして (…いじけることだけは避けたいものだ。)(テイスティング&イマジネーション)
『夢分析マニュアル』(amazon.co.jp)
 ★【56】生産性とは,最小の努力で最大の成果を得るための生産要素間のバランスのことである。
〔『経営の哲学』 P・F・ドラッカーより抜粋〕 2004.05.28


経営の哲学
≫06 ファンタジー・ワールド(テイスティング&イマジネーション)
『経営の哲学』(amazon.co.jp)
 ★【55】なぜスイスでモダンタイポグラフィーが発達したのか。このことはスイス国内で使われている言語が原因だと思われる。つまり。スイスはドイツ語,フランス語,イタリア語,ロマニッシュ語と,四つの言語を公用語として同等に扱っているので,生活に関係する印刷物やインフレな生産が行われていた時代に比べはるかに,デザイナーに対しての社会的責任が増していったところである。建築,子行清貧,公共施設……生活環境全域でデザイナーは経済的視点をもち,そしてエコロジカルな視点を持つことを必要とされていた。
〔『本づくり大全』[なかがきのぶお]より抜粋〕 2004.05.28
≫04 モザイクの向こう側 (電解膜)(テイスティング&イマジネーション)
『本づくり大全』(amazon.co.jp)
なかがきのぶお(装丁家)
 ★【54】美と合理的目的性との一致が美的基準になるグリッドシステムでは,表現が固定化され,画一的にみえてしまうという欠点はたしかにある。ウルムの創設メンバーのひとり,マックス・ビル(初代学長)はスイス『graphicmitteilumgen』誌で「しっかりした固定化されたテーゼは硬化して発展の障害になる危険性があるが,有機的に構成されるタイポグラフィが装飾を重視するレイアウトより短命だと考えられない。古い形式から解放され,その自由を最大限に活用することを望んでいる。」と述べている。絶対ではないが,(いつ,どのような表現であろうと)装飾的なものよりは長く通用する,と言っているのだ。
〔『本づくり大全』[なかがきのぶお]より抜粋,写真:本文より〕 2004.05.28


グリッド 視覚的なグリッド
『本づくり大全』(amazon.co.jp)
なかがきのぶお(装丁家)
 ★【53】つまり,あらかじめ計算されたグリッドシステムに載せるという固い従来の手法から,この表紙のように写真の持つその素材あるいは規則にとらわれない視覚的なグリッド性の発見と挑戦,あるいは平面上の空間の美の追求が花を咲かせる。これは同時期,バーゼルAGS(高等デザイン専門校)で教鞭をとっていたルダーが中心となってすすめていたタイポグラフィ教育のシステムに深く関係がある。そして今日まで,その次世代であるワインガルト,シュミット,ルッツといった偉大なタイポグラファーたちが,その流れを継承していくのである。
〔『本づくり大全』[こいずみひとし]より抜粋,写真:参考〕 2004.05.28


視覚的なグリッド
NaviGuide あとがきとして(テイスティング&イマジネーション)
『本づくり大全』(amazon.co.jp)
こいずみひとし(長岡造形大学 造形学部助教授)
 ★【52】あるいは,西洋の芝居のプロローグってありますね,序幕ですか。僕も不勉強でいい加減なんだけども,あるいは,シェイクスピアの劇なんていうのは幕が上がる前に,道化が出てきて最初に説明してくれるわけでしょう。
そこで観客はああ幕が開いたらこうなるのか,ということになる。序品は法華経の中にはいるのか,方便品からが法華経なのかなあって考える人もあっても良いんですよね。ところが,序品から実は,法華経なんですね。シェイクスピア劇は最初の道化のモノローグから始まっているんですね。で,“そもそもの始まり”ということじゃないかと思うんです。 〔『法華経1 そもそものはじまり(序品)』 久保継成・久保克児(共訳),写真:扉〕 2004.05.28


そもそものはじまり
≫A そもそものはじまり (もう一つの世界)(テイスティング&イマジネーション)
『法華経1 そもそものはじまり(序品)』(一陽舎)
 ★【51】照明がなくても大きな輝く内照式サインがあれば給油所の存在は分かる。ましてや,深夜まで営業するコンビニストアに至っては,昼間のような明るさにまでしなくとも,買いたい商品を見つけることはできるはずだ。探偵団のコンビニストア調査によると,平均的な床面照度は800ルクス,電力使用量は41W/m2(これはオフィスの照明の2,3倍に相当する),そしてすべての蛍光灯は白色よりさらに青白い色の昼光色をなっている。つまり限りなく昼の太陽のイメージに近づけようと努力しているわけだ。これはパチンコ店は深夜に営業をしていない点で罪を免れる。コンビにストアも日没までの照明と夜の照明とを変化させてみたらそうだろうか。これが普通の考え方である。
 コンビニエンスとは都合とか便宜とかを示す言葉だ。都市生活者のとめどのないわがままが新しい商品を出現させてきた。私たちは都合の悪いことを望むはずはないのだけれど,このままの勢いで都合のよさだけを求めていくと,自然と便利さだけが味気なく残って,街は形骸化してしまわないか。増殖し,組織的に展開する自販機やコンビニストアが,その公式的な役割を意識しながらデザインされるべき時代である。昼より夜に目立って活動するのがコンビニだが,その光の目立ち方にも多少のデザインやスマートさを工夫したいものだと思う。
〔雑誌『BRUTUS』〕より抜粋,写真〃〕 2004.05.27


夜間照明
≫06 ファンタジー・ワールド(テイスティング&イマジネーション)
照明探偵団
まだまだ追加していきます[2] 続く