●制作ノート “発想の源=言葉の断片?” それが全てではありませんが‥ | |||
“デイリー・リサイクル”
“T&I制作の際 どこか頭の片隅にあった★言葉の断片を書き出しています。”
だったんですが‥,日に日に時は過ぎて行ってしまうものです。
上手く新陳代謝していくためにも,これからは
関連性のありそうな☆最近の情報も交えてアップしていきたいと思います。
今後も★☆一日1つをテーマに一歩一歩,成長(勉強),更新!
◎作品との関連性を楽しんで頂いたり,
訪問して頂いた貴方のイマジネーションを掻き立てる,何かのヒントになれば幸いだと思います。
‘◎ふとしたきっかけで 「はッ★!」,ヒラメキ座が思考の天空に“誕生”する。
それは★の一つ一つのが関連性をもって“繋ながる”瞬間だ!’ ※余談になりますが,豊かな感受性を育てる理由の1つとして, その★!的中率を上げる目的があるのではないか‥,と思った。2004.05.30 【001-050】 【051-100】 【101-150】 【151-200】 【201-250】 【251-300】 【301-350】 【351-400】 【401-450】 【451-500】 【501-550】 【551-600】 【601-650】 【651-700】 【701-750】 【751-800】 【801-850】 【851-900】 【901-950】 【951-1000】 【1001-1050】 【1051-1100】
【150】 ハンドメイド;カタチ(1)
これはプロダクトデザイナーのジウジアローがデザインしたマカロニです。
日頃,違和感を感じないで日常に溶け込んでいる食材の切り方は,“技”の普遍的なハンドメイドなカタチ。
※VOILLO(イタリア)<MARILLE>プロダクトデザイナーのジウジアローがデザインしたマカロニ。ソースを染み込みやすくするために,断面構造が工夫されているそうです。(注:古い記事)
〔Art of Life; 2004.08.14 日記〕
【149】 油断・不意(竹篭の心理)
ニワトリになって竹篭に入っていた。
その中から世界を眺めていた。ぴたりとあうのが美だ,美か,そんなことばかり考えていた。
たまに,ちょこっとのぞくのが,可愛いらしさ,ユーモアだと思っていた。
ところが,ヘビが突然こっちを覗いた。
ぎょっとして思わず向こうへ被せて,「捕まえた!」,と安心したその瞬間,‥。
か・ま・れ・て・いた。
〔Art of Life; 2004.08.13 日記〕
【148】 向こう側
昨晩はなかなか寝つけなかった。
瞼を閉じそれでもじっとしていると,「ピン」と張り詰めた音が盃のなみなみ注がれたそこに滴し,真っ直ぐに潜っていった。
波紋は綺麗にさーと拡がり溢れたかと思うと,すーと緊張が解けるかのように瞳のキャップは裏返っていった。
見上げれば,波紋がきらきらと輝いている。
(参 考)
〔Art of Life; 2004.08.13 日記〕
【147】 永遠の自動巻き(生き方の渦)
「あっそうか!」「そうだったのか!」 失敗を発見に変える技。
発見はそのたびに感動を巻き起こし,その弾みで“前進するカタチ”を創造するんだろうな,と思った。
〔Art of Life; 2004.08.12 日記〕
【146】 影絵(逆)
(左)ジャワの影絵人形 (右)2004.07.21
影は光よりも大きな力をもっている,というのは物体から光を禁じこれを完全に奪うけれど,光は物体つまり固体から影をすっかり追い払うということは,絶対にできないからだ。 〔レオナルド・ダ・ヴィンチ〕(‥途中) 〔Art of Life; 2004.08.11 日記〕
【145】
(……)
〔Art of Life; 2004.08.08 日記〕
【144】 知ることで知る
佐原:…戦争の起源を考古学的に追求すると,人間の歴史450万年のなかで,戦争の歴史は8000年以来,日本では2300年以来にすぎません。それがどんなに最近のことであるかは,右の数値を4.5メートル,8ミリ,2.3ミリと置きなおせばわかるでしょう。6万年前のネアンデルタール人も,6千年前の縄文人も,個人的な恨みで人を殺すことはあったにせよ,決して戦争はしなかったんですから。 編集室:このように過去を知ることは,それを知らない場合よりも深く,現在や未来を知ることにつながりますね。… 〔『縄文』佐原真(監修)より一部抜粋〕と,あります。(‥途中) 〔Art of Life; 2004.08.05 日記〕
【143】 いきなり抽象
現代の抽象芸術が写実をもとにした抽象であるのに対し縄文人は,いきなり抽象しました。だからこそ,土偶や土器は強烈な印象をあたえるのでしょう。 〔『縄文』佐原真(監修)より〕幼稚園?小学校?忘れてしまったけど,牛乳やジャムの空ビンに紙粘土を貼って,ビー球やおはじきを埋め込み,最後に色を塗って仕上げた不思議なカタチの花瓶のことを思い出した。それはテーマに沿って上手くやることなどお構いなしのものばかりだった。 今振り返れば,あれはその時の自分にとって理屈のない いきなりの抽象の形だったのかな?と思うと懐かしくてどうしても,もう一度見たい(会いたいような)気持ちになった。その時,ダイレクトに抽出された造形は自分だけの,自分だけには解る言葉のような感じがした。 ―自分と自分との対話。言葉を超えたカタチ(言葉)‥。 ※関係ないけど,掃除をしていたら,「カエッ!,ル?」 錯覚だった。葉っぱです。 〔Art of Life; 2004.08.04 日記〕
【142】 ブレーキ(意識)
寝ていると頭が興奮状態。
‥運転をしていると,急な下り坂,そこより先は,「危ない!」
景色に見とれているとガードレールの先の谷底へスーっと,「危ない!」
興奮した世界にブレーキはかかる。
そのたびに…,目は覚める。目が覚める。
〔Art of Life; 2004.08.03 日記〕
【141】 カマキリ(美化)
たまたま見た本があった。その中のカマキリの絵の表情が,は‥
久しぶりの強烈なインパクトは,二三日たった今でも頭からなかなか離れない。
笑いを演ずる芸人さんが普段と打って変わり,極悪を演じた時の脅嚇なリアリティー,
ギャップの生み出す,ぞっとするリアリティー,そんな強烈な感じのものだった。
自分で勝手に作り上げていたイメージ。自然に刷り込まれていた作られたイメージ。
草むらからの表情は,一変するようにその数々を私の中に浮き彫りにした。
※どこか見てはいけないと感じるのか,見ようとしないのか,そんなところがきっとあるんだろうな,と思う。
刃物な視線は抉り出すように,それを教えてくれたような気がした。
〔Art of Life; 2004.08.02 日記〕
【140】 予定外(体験)
昨日のこと,あるところにハイキングコースの案内の張り紙がしてあった。
それを読んでしまった。
そんなつもりじゃなかったけど試されてる感じがしたので,しょうがない,行ってみることにした。
(そんな意味のことは,どこにも書いてないけど‥)
少し登ると「しんど‥」
シャツは靄と汗であっという間にビショビショになった。
登りながら自然と内から出てくる言葉や気持ちは,いろいろなことを自分に気付かせてくれた。
途中,転んで服もバックも泥だらけになった。
何事も経験だなあ‥「経験してみないとわからないものだなあ」 ,体験してみてわかるものだな,と思えた瞬間,スーと見えてくる世界があった。
―終いには雨も降ってきた。
迷いながらも車の走る通りにやっと抜け,
傘も差さずびしょびしょで,まだまだ距離のある元のところへ向かって歩いていると,“何‥”という感じで,すれ違った人は見ていた。
※まだ少し痛む,左の臀部の打撲はなんだか妙に気持ちいい。
〔Art of Life; 2004.08.01 日記〕
【139】 発光するように繋がる世界(同時)
追い越しをしようとして,2台の車が車線を塞ぐように正面からやってきた。
台風のため,車線に強く打ちつけ,砕け散っていた波飛沫も止まった瞬間だった。
「駄目か‥」と思いながらも,シーンとしたその中でいろいろ考えていた。
〔Art of Life; 2004.07.31 日記〕
【138】 カタツムリ
昨日は雨が降っていた。
紫陽花が咲いていた。
そこを傘を差しながら,自然観照するように通り過ぎてゆく外国人のカップルがいた。
〔Art of Life; 2004.07.30 日記〕
【137】 世の中
突然こんなことを思い出す。
みんなと久しぶり集まって飲むのに,店ばかりこだわる奴がいた。
女の子といるのに,格好やウンチクばかりの奴がいた。
どれも一番に重要なことじゃない。
目の前からだれもいなくなって,気付いた奴がいる。
それは私だ。それは私だった。
肝心なことはだれも教えてくれない‥,と心の中で思ったこともあったけど,
人生の答えは全て目の前にある。
失敗はそれを私に教えてくれた貴重なものだった。ものとなる。
〔Art of Life; 2004.07.29 日記〕
【136】 早い遅いは問題じゃない
節と節の間が伸びる竹に成長を感じ,年輪を積み重ねる木にその質を感じる。
【135】 張りのあるテント(天気とは関係のない世界)
しっかり働き。しっかり寝。しっかり食べ。
この三辺の上に,自分の,やりたいこと。できること。やるべきこと。
例えば,こんな三辺の屋根があって,そのバランスが,左右する世界が,
現代人の私たちの中にはあるんだろうな‥
天気だか雨だかわからない今朝だけど,そういうものとは別の空間。
そういうものには左右されない,それとは別の空間が,そこにあると思った。
張りのある辺,張りのあるのバランス,大きさのもんだいじゃない一人一人の空間が。
〔Art of Life; 2004.07.29 日記〕
【134】 夢を楽しむ(注;この話はなんの根拠もありません)
今日は久しぶりに虹を見た。
夢日記 2003年02月19日(水)晴れ “虹を食べた” を思い出した。
(内容は省略‥)その時は色を食べたおかげで,心理的に元気な目覚めだった記憶があります。
ついでなので他にも
夢日記 2003年02月16日(土)雨 “ダチョウの卵”
(内容は省略‥)この時は,大きなチャンスの暗示がしました,が‥
夢日記 2003年02月24日(月)雨 “クッションをブラッシング”
黒いクッションで犬の顔が刺繍してある。長い白いふさが髪の毛のように伸びてきた。
(内容は省略‥)クッションをブラッシングする行為に,疲れがたまっているのかな‥?癒されたいのかな?と思ったり,
と,サビニャックのポスター(シンボルの組み合わせ)のような絵を心に描いて,たまにですが,楽しんでいます。
※内容は,こんなに単純ではありませんが,ちょっと思い出したので簡単に紹介してみました。
〔Art of Life; 2004.07.28 日記〕
【133】 洗 濯
朝から‥
雨が続いたおかげで,だいぶ洗濯物を溜めてしまった。
目はすっかり覚めていたけど,まだまだ動きの鈍い体は,空気が少ない自転車のペダルを漕ぎ出すときのようだった。
ライトは漕ぐことで点く。早く漕げば漕ぐほどに,だんだん明るくなる。
そういえば小学生のころ,暗闇を一生懸命漕いで自家発電,楽しんでたな。
そんなことを思いだしていたら,明るく天気のよさそうな今朝だけど
“漕がないと消えてしまうライトは,漕いでいないと消えてしまう心の光” のようでもあり,
ただカラっとフラットな朝は,とりあえず洗濯することで,立体に見えてきた。
よくわからないけど,漕いでいないと消えてしまうことだけは確かなようだった。
〔Art of Life; 2004.07.27 日記〕
【132】 ちさなウズラの卵
順応的に反応するカメレオンは色をころころ変え,自分の色がわからなくなる。
閉じこもりがちなものは自分だけの世界に入り,外の世界を知らないでいる。
「じゃー」ってことで,相反するそれを入れ替えるように思い切って 「ぐっ!」 と押してみる(裏返す)。
!,こころは “サニーサイドアップ(めだまやき)” に変身(変心)した。
さてとそこで,そのフライパンの蓋を開けてみる。「パタパタ!」 鳩が勢いよく飛んでいく。ニワトリ(目玉焼きといえば“ニワトリ”の卵)じゃなくてハト?
………。
子供の時,赤いボール(スポンジ)が,ウサギ(ウサギ型のスポンジ)になる,手品があった。
それは,ボールの一点を裏返すように押すとウサギになる仕掛けのスポンジだった。
僕は,マジシャンになりたかったのか?
僕は,そのカラクリが知りたかったのか?
僕は,その手品で,感動してもらいたかったのか?
…,それとも意表を突いた“鳩”になりたかったのか?
〔Art of Life; 2004.07.26 日記〕
【131】 休息日
休みって?で,今日(日曜日)のテレビ欄の番組タイトルをちょっと眺めてみる。
テレビは経済を生み出すメディアで,軍隊は生みだしません。テレビはニーズの増幅器,欲望の増幅器であり,声を増幅するわけではない。テレビが増幅するのは身体です。そして身体の増幅とは―これはヨーロッパ生まれのコンセプトですが―「おお!これが欲しい!」の増幅なのです。 〔『想像と創造の未来』(デリック・ドゥ・ケコフ) NTT ICC編〕―関係ないけど,昨晩見た番組の中で輪明弘さんは,真理に新しいも古いもない。真理を基準にすればいい。と言っていた。 >Yahoo!テレビ 〔Art of Life; 2004.07.25 日記〕
【130】 そこから円環的に
思いっきり投げて,暴投しながら次第とコントロールをよくしていく。
そんな感じだったら,よっかったと思う。
多分,コントロールばかり気にしたタイプかもしれない。
だから,そういう意味で竹村健一さんの口癖ではないけど「だいたいやねん」,捉え方として好きです。
(完璧がないものだとしたら) “だいたいやねん” で思いっきり突き抜けたいもんだ。
‥アクロバットするようにハンカチの四隅はダイナミックに下方に旋回し,
裏の折り目から漏れる中央の微かな光を目がけ,そこをねじ開けるように大空高く突き抜けていく爽快感。
どんでん返しのように,体の表と内を入れ替えて飛び出した内臓が元に戻った瞬間,新たな発見,新天地が開けてた。そんな円環的快感を。
なんだかただ表じゃなければ,裏,みたいな状態だ。
ボールは真っ白な雲を,突き抜けるどころかその中に消えていく。
拡散して消えちゃったんだな,壁(心のドーム)は‥。エネルギー不足なんだな‥
先ずは,身の丈にあったところに戻り,更に自分の内の小さい,小さい,ところへいくこととした。
〔『STUDIO VOICE』 1988 Vol.265表紙より〕
〔Art of Life; 2004.07.24 日記〕
【129】 元 気
新しい店ができれば,,,。
ラーメンがブームになれば,,,「この味,違う。」 ラーメンはしご状態。
イタリアン ブームは毎晩安ワインで試飲,会。
汗を思いっきりかいた夏の夜は,枝豆とケースで用意された(お中元で)ビールのがぶ飲み状態。
(環境は変わり)
三年前のある夜,突然,激痛がはしる。
病院へいったら痛風だった。松葉杖を渡され帰ってくる。
ちょっとそれは面倒だと,ギブスと包帯でグルグル巻きのその上に,コンビ二袋を被せ一週間ほど生活していた。
(考えは変わり)
以来,タバコも?(関係ないけど‥)酒もやめ。
季節の地の野菜をメインに,肉,油ものは,ほとんど食べない質素な生活を送りだす。
(体型・体質も変わったが‥)
それでも,何ヶ月かしたある日のこと,また激痛がはしる。
(肉体的には,多分10キロは痩せ調子はいいはずだが‥)
‥微かに反応する痛みは,なにが原因なのか,こっそりと自分だけに教えてくれているようだった。
診察結果は,食事のバランスが原因か,元々なりやすい体質らしいとのこと。
(あっ)
―そして今年の夏,この暑さにアスファルトに額から汗が,ぽたっと落ちた。
あっ,そういえば‥あの日も汗をたくさん‥,夜だった。
(悟る)
だけど‥,それにしても元気だな,あのお爺ちゃん?
あの夏の日一緒にいた近所のお爺ちゃん(9?歳)は,この暑さでも現役バリバリ,‥めちゃくちゃ元気なのです。
2004.07.21
〔Art of Life; 2004.07.23 日記〕
【128】 さながら お化け屋敷?(自然とは)
昨晩 『脳と自然と日本』という養老孟司さんの本を読んでいると頭の中では…
この木から突然リスがでてきた。目の前を横切って違う木に登りこっちを見ていた。
‥階段を下っていると 「カサカサ」,音がする。なにかと思えば落ち葉の中をすばやく横切るトカゲ。
目の高さには,透明な糸をたらし曲芸状態の青虫?はいるし。
2004.07.21
予期せぬ出会いは自然を不自然にしていた。
森(ハイキングコース)は,さながらお化け屋敷になっていた。
(ここは自然?の中にある綺麗に手入れされた自然な?公園です)
※自然なことを自然でないように自然に反応している‥
当然が当然でなくなってきている当然(自然)がそこにあるような?
>『脳と自然と日本』(amazon.co.jp)
〔Art of Life; 2004.07.23 日記〕
【127】 ステンドグラス(象徴的な光)
なんだっけ??ああ,ステンド‥?きり絵‥,夢か‥。
‥昨日の木の枝の影。多分,印象的だったんだろうな‥,それが夢の中に出てきたんだ。
影は黒のフレームとなり,逆に光だけが浮き上がる。すると子供のころ,NHKの番組でよく使われていたきり絵??(正しくは,その絵の情景かもしれないけど‥)思いだせない‥そのきり絵(ステンドグラスのようにバックライトを当て表現したもの)が現れてきた。
よーく見てると光だけがだんだん広がり,入れ替わるように “フレームが光を,から,光がフレームを” になっていく。なにかに似てる‥??夢の中で思いながら 「あ‥ス」 テンドグラスか。となったところで “昨日の木の枝の影” になっていた。
そういえば‥。夜の碑文谷,ちょっと見上げたところにぽつんと輝くステンドグラス。それはどこか象徴的な無意識な光‥。いつしか,そのことを思す自分がいた。
2004.07.21
≫ソラリ
〔Art of Life; 2004.07.22 日記〕
【126】 『フラジャイル』
昨日(20日)は「これだ!」 と思える本に出合えた。上手く言えないけど, 「これに決めた!」 そう直感した。私は,学者でも,アーティストでも,評論家でも,なんでもない。・だ・か・ら・こ・そ・,知りたい(人生の)テーマが全てここにつまっている,と感じた。感じたのか?
いや,なによりも自分が弱い人間だから。弱いということを知っているから。「弱さ」(フラジャイル),その言葉に敏感に反応したのは,それを証明したかのようだった。
“地位”も“名誉”も“金”も失うものは,私にはなにもない。あるとすれば “弱さ” ただそれだけだ。が,今となっては,あえて,それを失うことだけが唯一,逆に怖いことなのかもしれない,「フラジャイル‥」
「弱さ」は「強さ」の欠如ではない。「弱さ」というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象なのである。部分でしかなく,引きちぎられた断片でしかないようなのに,ときに全体をおびやかし,総体に抵抗する透明な微細力を持っているのである。その不可解な名状しがたい奇妙な消息を求めるうちに,私の内側でしだいにひとつの感覚的な言葉が,すなわち「フラジャイル」とか「フラジリティ」とよばれるべき微妙な概念が注目されてきたのだった。(帯;本文より) 〔『フラジャイル』松岡正剛(著)より〕‥いろいろ読んでみます。 >『フラジャイル』(amazon.co.jp) 〔Art of Life; 2004.07.(20)21 日記〕
【125】 フレームはいらない(一体となる)
自然の中に入って目を閉じる。日頃聴こえない音が聴こえてくる。
2003.04.24 17:15
何を見ても素通りしてしまう人も(↓)この作品の前では多分違うのではないか,と思います。何度か見に行った時のことですが 「‥マイナスイオン 感じてる?!」 そんな声が聞こえてきたり,癒されるようにいつまでも椅子に座って眺めている人がいたりと,様々でした。日本画のことは全然分かりませんが,この画には誰もそうさせてしまう力がある,“?”そこが素晴らしいな,と思いました。
画なのに今も静かに流れ落ちる“ウォーターフォール”。永遠に開放(シャッター)されたカメラのファインダーを心象のファインダーと重ね合わせながら覗いているようです。
見る側と作品で一体となって出来上がる立体空間。舞い上がるミスト,サラウンドに迫る滝の音,写真に額縁がいらないように,イマジネーションにフレームはない。流れが止まないかぎり,フィードバックループ(流れ)は永遠に続いています…
〔千住博 ウォーターフォール 182.5×1418.0cm 『日本画から世界画へ』平松礼二 vs 千住博 対談集より〕
>『日本画から世界画へ』(KINOKUNIYA BOOK WEB)
〔Art of Life; 2004.07.19 日記〕
【124】 変じた一つの形式
‥(途中です。)
愛と憎しみとは相反する心的作用の両極を意味するものではない。憎しみとは人間の愛の変じた一つの形式である。愛の反応は憎しみではない。愛の反対は愛しないことだ。 『惜しみなく愛は奪ふ』有島武朗(1878-1923)作家≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション) 〔Art of Life; 2004.07.17 日記〕
【123】 回転するジャバラ(心の万華鏡)
心のアイソアクシスは感動を展開することによって回転する‥(途中です。)
この「空」を現代的に換言すれば,エネルギーといってもいいかもしれない。かつてアメリカの宇宙飛行士ジェリー・カーが,「……エネルギー不滅の法則というものがある。エネルギーは形は変えるが,決して消失するということはない。人間の生のエネルギーも,形を変えて存続する。生きている間は個々人が個別に持っている生エネルギーの場が,死後は,宇宙全体のエネルギーの場に吸収され一体化する……」(立花隆『宇宙からの帰還』中央文庫)と述べているのは,「空」の説明として適切かもしれない。 〔『仏像の見方がわかる小事典』松濤弘道(著)より〕※写真は,ウォーレス・ウォーカー氏のデザインした円環状に回転する紙の彫刻,アイソアクシス(Iso Axis)。その回転するジャバラを,私が折って再現したものです。何回も回転させたのでちょっと汚くなってしまいました。 ≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション) >『仏像の見方がわかる小事典』(amazon.co.jp) 〔Art of Life; 2004.07.16 日記〕
【122】 領解・領得
レアリズム 画家の狩野探幽が,ある時京都のある寺の杉戸に「李白観瀑図」を描いた。ところが李白ばかりで滝が描かれていないので院主が「滝の方は」ときくと,探幽は「描かずとも,それそこにあるではありませんか」という。画家の指す方を見ると,なるほど嵐山の戸無瀬の滝が見えるのだった。 〔『世界史こぼれ話 1』三浦一郎より〕≫14 主観の世界(テイスティング&イマジネーション) >『世界史こぼれ話 1』(amazon.co.jp) 〔Art of Life; 2004.07.15 日記〕 ↑
【121】 ほっ,と安心する(包まれて)
今朝,『レイアウトの法則』という本の“包まれる”の章を読んでみた。
ちょっと気になったところを書き出してみた。
佐々木: 現実の視覚には,時間なんてものは存在しない。タイムレスなんです。 〔『レイアウトの法則』佐々木正人(著);包まれる 写真と視覚 より抜粋〕 +
佐々木: 見えていないのに見えている,これは実に視覚そのものだと思うんです。 〔〃;包まれる 写真と視覚 より抜粋〕 +
佐々木: 視覚はカテゴリーなんてことは前提としなくても受け入れてしまうでしょう。知らなくてもとりあえず引き受けてしまう。そこが視覚の最も面白いところでしょうね。 〔〃;包まれる 写真と視覚 より抜粋〕すると,絵巻物の“異時同図法”(時空表現)や,…が頭を過ぎって。あとがきにも書いてあるのですが(下記), 環境が「固さのレイアウト」であるということがわかり,触覚がこのレイアウト全体に起こる出来事だと理解できた時に,身体と環境が一つのレイアウトになり,身体に起こる触覚が環境に包摂されていることを実感できた。 〔〃 あとがき より抜粋〕か,わかりませんが何故かほっとした。表紙を見れば帯には“レイアウトから生きる力が湧いてくる”と書いてある。夜,残りも読んでみよ…。 ↓
佐々木: 歩くということに伴うことをきちっと理解してから歩き始めようとなどと思っていたら,それこそ一生歩けないかもしれない。 いい加減でもいいから,グイグイと世界の中に入り込んでいく,そういう圧倒的なものが知覚にはあるんでしょうね。僕はとにかく今日ここでそれが言いたかったんです(笑)。それが畠山さんに伝えられたらそれでいいんです(笑)。知覚というのは,要するにこの世界の中で生きているということなんですから,ごく単純に言えばね。 〔〃;包まれる 写真と視覚 より抜粋〕≫03 真夏のデザート(テイスティング&イマジネーション) ≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション) >『レイアウトの法則』(amazon.co.jp) 〔Art of Life; 2004.07.14 日記〕
【120】 変わらないのに変わるもの。
毎朝やることがあります。簡単な掃除。窓を開け,換気。
それと,綺麗に洗ったグラスで一杯の水を飲む。
それだけのことですが,体の中が浄化された気分になります。
憎しみは人を盲目的にする オスカー・ワイルド(詩人・作家・劇作家)自分の中の,それを映し出す空間。‥バーチャルな空間。 そこを常に綺麗に,曇りのないように心がけること,それが大切ことなんだろうな‥? でないと,目の前の水晶球(現実)に変なもの投影(重ね合わせ)して,ずっと悩み(ニュートラルな視点でない)続けなければならないからな,と思いました。 ≫A そもそものはじまり(テイスティング&イマジネーション) ≫13 ピュアドロップ(テイスティング&イマジネーション) ≫あとがき (う・ま・く,想像してみませんか。) 〔Art of Life; 2004.07.13 日記〕
【119】 レイチェル(アンドロイド)に焦がれて
アンドロイドが,感情移入度測定テストにかぎって,なぜ無残にも馬脚を現すのか―たいていの人間が一度はいだくその疑問を,彼もやはり考えてみたことがあった。ある程度の知能が,クモ類を含めたあらゆる門と目の生物種に存在するのに対して,感情移入能力はどうやら人間社会だけにしかないものらしい。一つには,感情移入機能が,たぶん完全無欠な集団本能といったものを必要とするからだろうか。たとえば,クモのような独居性生物はそんなものに用がない。それどころか,もしあれば,かえって生存能力の障害になるだろう。 〔『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』フィリップ・K・ディック(著)本文より〕 ↓
感情移入という現象は,草食動物か,でなければ肉食をたちきっても生きていける雑草動物にかぎられているのではないか―いちおうそんなふうにかれは考えている。なぜなら,究極的には,感情移入という天与の能力が,狩人と獲物,成功者と敗北者の境界を薄れさせてしまうからだ。マーサーとの融合とおなじように,みんながいっしょに山を登り,また一循環期が終わったときには,みんながいっしょに墓穴世界に落ち込むものだ。奇妙なことに,一種の生物学的保険を思わせるそれは,また両刃の剣でもある。だれかが喜びを経験すれば,ほかの全員もその歓びの断片を共有できる。だが,もしだれかが苦しみを経験すれば,ほかの全員もやはりその苦しみの影を逃れられない。ヒトのような群居動物は,それによって一段と高い生存因子を獲得する。一匹狼的なフクロウやコブラは,逆に破滅に近づくだろう。 〔〃本文より〕 ↓
「真下には墓穴世界,悪魔的な不変の因果律の世界が横たわっている。中間には人間のレベルが広がっているが,いつ人間は―じわじわと沈んで,真下の地獄のレベルへ落ちるかもしれない,それとも,この三重層の最高のレベルを形づくっている,真上の天上界に昇れるかもしれない。真中の人間層に住むのは,つねに沈下の危険にさらされている。ただし,その一方で上昇の可能性も目の前にある。どんな現実の様相やシークエンスが,いつなんどき,そのどちらに変わるかもしれない。天国と地獄,それは死後ではなく,いま現在にある!抑鬱,それにあらゆる心の病は,沈下を意味する。では,上昇は?……それはどうすればなしとげられるか?感情移入をつうじてだ。外側からではなく,内側から他人を把握するこによってだ……」 つまり,デックは,感情移入を人間の最も大切な能力と考えているのです。本書の中での共感ボックスの役割も,また,人間とアンドロイドとの鑑別に感情移入度テストが使われている理由も,これでなっとくできます。 〔〃あとがき(アンガス・テイラー)より〕そこで,ロボットをペットというより,自分の子供のように可愛がることができたり, 逆に,介護ロボットのように,ヒトはロボットに癒されることができるのでしょうか? ≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション) ≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション) ≫15 永遠の印 (テイスティング&イマジネーション) >『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(amazon.co.jp) 〔Art of Life; 2004.07.12 日記〕
【118】 大空の下,爽やかな青空を想像する。
ラジオから「KISS OF LIFE」SADE 8:44が流れてきた。
「体感温度が二,三度下がったのではないでしょうか!?」とナビゲーター声。
「ああ,爽やかな気分だ」
想像力は光速よりも速い。
想像力は光速よりも速い「力」だと言われている。 〔『デジタルマクルーハン』ポール・レヴィンソン(著)より〕音楽っていいな‥ 私にとって,音楽は,瞬時にその世界へ誘ってくれる“即効薬”なのです。(逆もまた‥) 私の人生は,まさに波乱万丈で,苦しいことが一杯ありました。それでも負けずに人生を愛しながら生きてこられたのは,大空があったからです。 * * * あなたもどうぞ空のパワーを充分に吸収しながら,愛を持ち,知を分かち,毎日心を躍らせて,強く,楽しく生きて下さい。 オノ・ヨーコ 〔『大空の下で』トレヴォア・ロメインン(著)オノ・ヨーコ(監修)より〕大空を眺めながら‥,爽やかな青空の広がる世界を想像していた,朝でした。 ≫あとがき (う・ま・く,想像してみませんか。) >『大空の下で』(amazon.co.jp) >『デジタルマクルーハン』(NTT出版) 〔Art of Life; 2004.07.11 日記〕
【117】 Art of Life(四つ葉のクローバー)
残りの一枚をクリエイトする人生。反復する人生。
それが “Art of Life” ではないでしょうか。
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
≫04 モザイクの向こう側(テイスティング&イマジネーション)
≫07 夢見るマジシャン(テイスティング&イマジネーション)
〔Art of Life; 2004.07.10 日記〕
【116】 釈迦の手のひら。(美)
竹篭とフラーレンの話や,イルカと飛行機の翼のように,辿り着いた先が,…。
行き着くところ,…検証の作業なのでしょうか?
そしていつの日か,自然に朽ちていく姿が美しいと,悟るのでしょうか?
「知は愛,愛は知である」 西田幾多郎≫ソラリ ≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション) 〔Art of Life; 2004.07.09 日記〕
【115】 “風を感じるには,自ら走るしかない”
スカイラインは雲の中。
車を降り,脇を歩く女性は次第に両手を広げ鳥になっていた。
そう,そこには,風がある。
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
〔Art of Life; 2004.07.08 日記〕
【114】 束縛とシワ(SF 仮として)
親に叱られた記憶が私はあまりありません。
叱られないということは案外 “自由なようで自由でない”。
なんともいえない,このジレンマは,どこから来たのでしょうか?
「ところで脳の“シワ”は何故できたのか??」
仮に頭蓋骨という束縛があって,できた姿がそれだとして。
仮に創造するシステムが脳だとして。
仮に“自由なようで自由でない”,これを考えるのも脳だとして。
それらを重ね合わせてみる。
ああ,だからこのシワが,創造のシンボルのシンボルたる所以であるのか,と思った。
≫ソラリ
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
〔Art of Life; 2004.07.07 日記〕
【113】 思考のシフト(絶対的,相対的)
駄目にしてしまうのは,絶対的エゴの場所で育てているからなんだろう,と。
すくすくと育つには‥,の場所に合わせていけば,いいんだと。
決して,ただ水を与えるとか,ただ日に当てるとかではなく,
結果がその条件を満たす,満たしている,という意味においてだけど。
≫ソラリ
≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション)
〔Art of Life; 2004.07.06 日記〕
【112】 悟り(心のシフト; ああ,これだ。これなんだ。)
早,歯を磨きながら,ぼんやりと脇にあるアロエの鉢を眺めていると…
育てよう育てようと無理しているアロエは,あるところまでくると枯れてしまう。
対比するかのように,脇の自然に伸びるその芽には,小さいながらも生命力がある。
「ああ,これだ」
このアロエには,どこか無理がある。
私は,自然に芽吹いた気持ちのほうを,大切に育てていくことにした。
その時,何者にも囚われない,開放感のようなものを実感することができた。
自分を育てるとは,こういうことをいうのだろう…
「これなんだ」
※静かな時間の経過の中,目の前の鉢には,いつしか生命力のあるピュアな心が芽生えていた。
≫ソラリ
〔Art of Life; 2004.07.05 日記〕
【111】 消えた三角地帯
カニッツア図形を “ソラリ”してみました。
※見えるもの,見えないものも含め,ソラリとは,このような試み(考え方,心の視点のテクニック)のことを指します。
注)※“ソラリ”とは “心の視点” としてのテクニックのことを指します。
“上手く生きる”ための知恵(捉え方)の提案だと思ってください。
あくまでも個人的なものであって,専門的な学問ではありませんのでご注意してください。
≫ソラリ
〔Art of Life; 2004.07.04 日記〕
【110】 羽 化 (幼虫,蛹,蝶。プロセスの真の意味するところ)
‥仕事をつくる,柳 宗理。
これだけでためらわず買ってみた。
“働き方研究家の著者によるワークスタイルとライフスタイルの探検報告”(帯より)で,さっそく,柳 宗理のところから読んでいると,私の頭の中で並行してあるできごとが…
「そう。一番最初に…… ,と読み進めていると
……変わっていくのがやっぱり本式だよ。」 と,言ったところではちょうど蝶に羽化(変態)し,飛んでいくところだった。
柳: そう。一番最初に考えたものが,最後まで続くってことは,まずあり得ないね。だからレンダリングとかってダメだって言うんですよ。 一番最初の,こういうのあったらいいなって思っていたものと,できあがったものとは,まったく違ってくるね。椅子だって,最低で一年ぐらいかかるしね。時間をかけて,最初のイメージとも変わっていくのがやっぱり本式だよ。 〔『自分の仕事をつくる』 西村佳哲;柳 宗理 インタビュー記事より抜粋〕>『自分の仕事をつくる』(amazon.co.jp) >柳 宗理 http://www.japon.net/yanagi/ 〔Art of Life; 2004.07.03 日記〕
【109】 “認知の押し花” (フラットな世界)
◎ 『目の前の存在すべてをフリーズし,この世に産まれ,初めてまぶたを開けた衝撃の瞬間の如く,いったん認知を外す。そのことが,背後に隠れている存在を浮き彫りにした。これは,そんな技です。』
※“初めての時のように眺めてみる” (何物も意識しない視線)
これはソラリ(空理)というタイトルの(私の)図案作品の前置きとして書いてみました。
簡単に説明しますと “ルビンの壷をソラリゼーションした”になるのですが,これでは何のことかさっぱり分からないと思います‥。HOME(トップページ)に作品も含めリンクを設けますので,少々お待ちください。(用意ができたら見てくださいね!)
★ルビンの壷 「図と地の現象」 実は,心理学で「図と地の現象」として知られる視覚のふしぎな性質を利用したもので,これをもっと単純化した形で描いた花びんの絵を,どこかでごらんになったことがあるだろう。真ん中の花びんに注目すると,両側から向き合っている顔はみんなみえなくなり,顔を意識してみると花びんはみえなくなる。その間をわけている境界線は,同時に両方の輪郭線となることはできず,形のある「図」とみた方だけに属してその輪郭線となり,図になりそこなった方は「地」として,背景に退いてしまうのである。 人間のこの視覚の働きを,学問的に研究したのは,E・ルビンというデンマークの学者で,図は1921年にルビンの提案した「図と地の反転図形」といわれるもの。それよりも二世紀も前に画家たちが無意識のうちにかくし絵の手法に使っていたものを,心理学者がはじめて科学的に分析した例である。おかげで,図と地の現象は有名になり,それ以来,意識的にデザインや,トリック絵などの手法として使われ出している。 〔『遊びの博物誌』 坂根厳夫より抜粋〕 +
★ソラリゼーション 写真で,露出が極端に過度の場合,現像後明暗が反転している現象。また,この現象を利用して特定の写真効果を作り出す技法。 ソラリゼーションは感光乳剤の反転作用の特性を応用したもので,写真の特殊技法のなかでも独特の味がある。 ソラリゼーションは,感光材料に何万倍あるいは何十万倍の光があたると特性曲線のソラリゼーション部に入り濃度が反対に低下し,画像が反転する現象をいう。 〔『写真技術ハンドブック』脇リギオ より抜粋〕〔Art of Life; 2004.07.01 日記〕
【108】 セルフコントロール
『丹田呼吸法』 この本を読んでいると…
子供の頃,鬼灯(ほおずき)の皮を破らないように中味だけをそっと揉み解している情景を思いだした。
それとだぶるように硬直した心は揉み解されるように,次第と練り上げられるように,力強くイメージされた。
いつしか目の前の鬼灯のそのポイントを押しほぐすだけで,思い通りに自分をコントロールできるようになっていた。
私はそんな “心の解体図” を探しているのかもしれない。
早春,春を訪ねて歩きまわり疲れ果てて帰宅してみれば,梅の花が一輪,わが家の庭先で笑っている,こうした風趣を詠い上げた漢詩のあることを思い出す。 健康健康とそれに関するものを目の色を変えて探しまわっている人が多い。そして最後に到達したものは外物ではなく,わが体内に健康のもとが完備していることに気がつく。正しい呼吸・よい呼吸である。それを充分に活用するところに健康は堰(せき)を切った水のごとくに体内から溢れ出てくるわけである。それには前述の呼吸筋を惜しみなく使うことである。それによって他の呼吸筋群も共鳴して動き出す。 白隠(はくいん)和尚も『坐禅和讃』の中で次のようなことを申されている。たとえば水の中に居て渇を叫ぶごとくと。それは求めているものがすぐ手許にあることを知れと警告している。 皆様にお願いしたいのは,調和道の呼吸を知っているというだけでは役に立たない,即刻実行に移す,ということである。そしてそれが常のごとくに出てくることが必要である。転息輪(てんそくりん)つまり正しい呼吸の輪を絶えずまわして行きたいものである。 ↓
心身一如または心身不二といった東洋古来の言葉は,心と体は元来不可分であり,心身一体であることを知らしめる。 さてそこで,心に不安・心配,ときには恐怖といったものがあるといったものがあると,呼吸は浅く弱く力の入らぬ状態となりやすい。そうした好ましくない呼吸は肺のガス交換を低下させるばかりでなく,血液の循環にまで悪影響をおよぼす。そのときには横隔膜のはたらきが鈍っている。浅い呼吸・力の入らぬ呼吸に明け暮れると気力はなく,顔色は冴えず,気分は暗い方へと引きずり込まれがちとなる。 ↓
藤田先生はこの太陽神経叢を腹脳と呼び,信州大学教授の大木幸介博士は第二の脳あるいはリトルブレーンと呼んでおられる。 〔『丹田呼吸法』村木弘昌(著)より抜粋〕>『丹田呼吸法』(amazon.co.jp) 〔Art of Life; 2004.06.30 日記〕
【107】 存・在・感 “人間は必ずどこか他人よりすぐれたところを持っている”
(“スクイ〜ズ!スクイ〜ズ!”今夜,掲示板に書いた言葉‥。これで思い出したことがあるので。)
使いにくい使いにくいと言われながら今だに残っているものがある。フィリップ・スタルクの「JUICY SALIF」レモン絞り。キッチン用品と芸術(デザインを)を橋渡しするようなその作品は,“実用と鑑賞”の両側からグッと!押し上げられるようにして,見た人の心に入り込み,何時までも存在しているかのようだ。
真似のできない,代用のできない,そんな・存・在・感・がどこかある‥。大・切・な・こ・と・だ。
◎“人間は必ずどこか他人よりすぐれたところを持っている”吉田松陰。
〔Art of Life; 2003.10.22 日記より〕 2004.06.28
↑
【106】 夜中の独り言
気分転換に,東京ミレナリオのサイトを見る。なんだか前田ジョンを思いだすが,それは,ここではおいといて‥。
年を取るにしたがい感動するものが変わってくる。それは,見る視点が変化してきているんだろうな。
外より内に,内から外に。そんな心境だ。
この前,いいこと言ってた人いたよなっ,あの暴走族だった‥名前は聞けばわかるけど???
“かっこつけてるのが,いちばんかっこ悪い。そうならないように自分は気を付けている”そんな言葉に素直に「うん」,とうなずける自分も,やはりその通りだと思う。わかっちゃうんだよな,多分‥
さっき外をみたら夜景がやけに綺麗だった。連絡とってないけどみんな元気にやってるのかな‥なんて夜空はかってにセンチな気分にさせる。だけど,そんな素直な気持ちがあるのも確かなことだ。ミレナリオの光を見たり,涙もろく感動しやすくなったのも・素・直・な・自・分・になれてきたせいなのかもしれない‥
〔Art of Life; 2003.10.21 日記より〕 2004.06.28
+
【105】 印象派との付き合い方。
(今朝,光の話をしたので,続きを‥)
ピカソでも何でもいいけど,私の絵画との付き合い方はこんな感じです。
心に素直になってみる,その時,求めているものを眺めてみる。
ドライブでも旅行でもそれは同じこと。
落ちこんで元気がない時,自分の求めているものに寄り添っていく。
そんな時に観たくなるのが印象派の絵です。
それは心に“光”を与えてくれる。
モネ,スーラ,それにシニャックなんかを観たくなる。
そう,優しい光がきっと観たいんだ。
※ポーラ美術館 http://www.polamuseum.or.jp/collection/collection2.html
「色彩の瞬きスーラの点描主義からマティスのフォーヴィスムまで」 2004年1月31日(土)〜2004年6月1日(火) 会期中無休 絵画で重要なのはデッサンか、それとも色彩か。この絵画の根本的な問題について、20世紀初頭にアンリ・マティスは、あざやかな色彩を追究した点描主義とより大胆な筆づかいを特徴とするフォーヴィスムを経験し、さらに「色彩をそのまま切り抜く」画期的な手法に到達しました。絵画における色彩の役割は、ジョルジュ・スーラが創始した点描主義と、フォーヴィスム(野獣派)の流れのなかで大きく様相を変えたのです。 ポーラ美術館はこれらの潮流を切り拓いたスーラ、シニャック、マティス、ヴラマンク、デュフィらの作品を収蔵しています。本展覧会では、当館のコレクションを通して、19世紀末から20世紀前半のフランス絵画における色彩の実験をたどります。(ポーラ美術館 展覧会より)でも,本当はそれだけか‥ このシチュエーションに,この建築やレストランがあるからか。(笑) しかし,少なからずとも,その優しい光に癒されることは確かなことだ。 ※追記 色彩を逆にマチスがそうしたように,◎私も自分の心に入って行って“クリーム色”を連想のままに切ってみた。(ちょっと見てみて!) ≫09 Metamorphose/ブルーからクリーム色へ(テイスティング&イマジネーション) 〔Art of Life; 2003.10.18 日記よりオーバーラップ〕 2004.06.28 +
【104】心の視点
(“引いて見る”で思い出したことがあるので‥)
○失敗した時,悩んでいる時,私は鳥になってそれでもだめなら“衛星”になる。
○対人的な恐怖に立ち向かう時,‥拭い去る時,私は対称により近づき“ニュートリノ”になる。
そんな心の視点を思い出させてくれる作品。「好・き・で・す!」
・キース・ブーケ作 『コズミック・ビュー 宇宙への四十回のジャンプ』 1957
・チャールズ・イームズ 『パワーズ・オブ・テン』
・カナダ国立映画局 『コズミック・ズーム』
どれも“宇宙からミクロまでの世界”を・視・点・の・移・動・により表現した作品。
そんな視点の移動を,私は日常生活に取り入れています。‥ちょっと簡単に説明しますと,日常の些細な悩みなどがある時は鳥の視点になり,それでも解決できな時は衛星になって地球を眺めてみる。すると「何でこんなにちっぽけなことで悩んでいるんだ」,可笑しなもんでそんなふうに思えてくる。逆に恐怖に立ち向かう時はその対象に,ぐっと近づいていく。対称と自分とが重なって,私はニュートリノになってその対象を通り抜けることができる。恐怖と思っている存在もただの物質だと思うことで,どこまでが恐怖の対称としての人格で,どこからが人格のない物質なのか分からなくなってくる,すると恐怖が自然とすーっと消え去っていく。(いつもこう上手く自分をコントロールできるかといえば,それは嘘,無理な話で,そうできれば理想的だという話です‥)
―取り上げたものはどれも単純な表現ですけど,そんな作品の視点は私の日常で生かされています。そんな想像の視点,心の視点を持つことは,上手く生きていくうえでの大切なテクニックだと思っています。
≫06 ファンタジー・ワールド(テイスティング&イマジネーション)
〔Art of Life; 2003.10.26 日記より〕 2004.06.28
+
【103】 私なりの“君子は豹変す”
「君たちだってガンになることがある。ガンになって,治療法がなくて,あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら,あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」 “その桜が違って見えた段階で,去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分,思い出せない。では,桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るということは,自分がガラッと変わることです。したがって,世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも。”〔『想像と創造の未来』(養老 孟司) NTT ICC編より抜粋〕ここまで極端なことは人生で一度か二度?できればないほうがいいですが‥。 ―少し前の話になります。「まだ一ヶ月もたってないかな?」 たまたま,ジャスパージョーンズの作品を目にすることがあった。(←リンク先の作品ではないです。参考としてです。) 遠めからはアメリカの星条旗。それに近付いて行くにしたがって“はッ!”とすることがあった。というか,そこにはちゃんとそうさせる,発見させる解説が作品の下に書いてあったのですが。(笑) “星条旗”が→“星条旗を・描・い・て・あ・る”に転化する。(多分,こんな意味合いの内容だと思います。間違っていたら,すみません。) * * * ―(ここからは私の話です) もう少しわかりやすく言うと森という字(森)に近付いていったら木が集まってできていた。そんな単純な話じゃなくて,←「まどろっこしいんだよ!」天才だと当たり前のように言われるエジソンやイチロウという人に近付いて行ったら“はッ!” そこには“努力”という文字が見えてきた,そんな話です 「‥ん??」 そんな話に無理やりしといて‥ そこで先ほどの話,“自分がガラッと変わる”(↑養老猛)ではないですが,‥とまではいかなくても,日常をよーく観察すれば考え方が,自分が‥変わる瞬間(ものの見方が変わる),出来事がきっとたくさんあるんだろうな,と思った。 ―例えば,例えばの独り言としてですが,今回たまたま目にした現代美術のようなものの価値のひとつとして,見方(心の視点,価値観)を変える“きっかけ”としての(作品)価値があるのだとすれば,イチロウや松井を見て“君子は豹変す”ではないですが,日々そんな謙虚な視点をもって良い方向に転化していけたら,それこそ(生きる知恵として)大切なんだろうな,と思った。 羨ましがられる人生(結果)をしている人には,それなりのそこには必ず“理由”が潜んでいる。そんな見えないものを見ようとすれば(見る努力をすれば),‥見えるようになれば,嫉妬や妬みはそこにはなくなり,それが必然的に尊敬(前向きな気持ち)に転化するんだろうな,するのでは,と思ってみたりしたのです。(‥途中) ≫01 髑 髏 杯( 創 造 の グ ラ ス )(テイスティング&イマジネーション) ↓ ※追記 このジャスバージョーンズの作品(や,『ワールドプロセッサー'97』 インゴ・ギュンター,『地球56の顔』 インゴ・ギュンター,『パワーズ・オブ・テン』 チャールズ・イームズ,曼荼羅などなど,他にもありますが)は,心の視点を転化させる“きっかけ”となる,思いださせてくれる,自分にとってシンボルのような作品です。 ―そこで,そんな視点で“複式簿記”を覗いてみると,そこにも心を転化させるものがあった。 だれか忘れましたが,以前こんな話を聞いたことがあります。 “経営学は、どんなにこまったときでも 1.「前向き」 2.「意欲」 3.「戦略」 4.「工夫」 5.「実践」 6.「達成」 ”を教えてくれる学問だと。(ちょっと間違っているかっもしれない?いや,あってるか??) そこでそんな話も踏まえつつ,上手く生きていくための普遍的な考えかたが“愛をもって”と“複式簿記”の構造にあるような‥,なんだかそこらへんに辿りついてきた,今日この頃なのであります。 ※つい忘れがちになってしまうが,常に謙虚に前向きに,そして楽しめるようにいこうと思います。 +“ヒクソングレイシー”(柔術の人。やはり,この人を覗いていたら‥,これはまたにします,ではでは) 〔Art of Life; 2003.10.01 日記よりオーバーラップ〕 2004.06.28 !
★【102】戦地から家路へと向う3人の軍人は飢えていた。前方に村を見つけることにより彼らは元気を取り戻しました。 きっと村人達は食料を分け与えてくれるだろうと期待していた。しかし、現実、村に到着した彼らを待ち受けていたのは、堅く閉ざされたドアと窓。 何年もの間、戦争が続いたせいで、村人達の食料も枯渇し、持っているものすべて蔵の奥深くへとしまい込んでしまっていたのです。 そこで軍人たちは、考えた。鍋いっぱいの湯を沸かし、その中に注意深く石を3つ沈めました。 村人達は不思議に思い、何が起こるか見るためにぞろぞろと表に出てきました。 「これは石のスープだ」、と軍人達は説明しました。「具はそれだけなんですか?」と村人が尋ねる。 「そのとうり―しかしいくらか人参を入れると味が引き立つと聞いたことがある…」 村人は家に戻り、すぐさま蔵の中からかごいっぱいの人参を持って走ってきたそうです。 数分後、村人は再び尋ねました。「これで終わりですか?」 「あぁ」と軍人は答えます。「イモが数個あると味がどっしりとするな。」 これを聞くや否や別な村人が走っていきます。 その後1時間ほどで、軍人達はスープを良くするためのより多くの材料 牛肉、ネギ、塩、ハーブを挙げていきました。 その度に別の村人が各個人の蓄えを取りに走っていきました。 そして、ようやく大鍋いっぱいのほかほかしたスープが出来上がりました。軍人達は石を取り除いた後、村人全員達とテーブルを囲み、 この数ヶ月食べたことのなかったような充実した食事をみんなで楽しむことができたのです。 〔『達人プログラマー』アンドリュー・ハント、デビッド・トーマス(著)より抜粋〕 2004.06.24 >『達人プログラマー』(amazon.co.jp) !
★【101】ホワイトヘッドは言う,彼が十九世紀の「物質主義」と呼ぶもの,事物に存在論的優先性を与える経験主義は,最広義の意味の「相対性理論」,すなわち関係の優位性に基く理論に席を譲る,と。ホワイトヘッド書いている,「物質主義的理論に立てば,永続する物質が存在する。組織論に立てば,永続するものは活動の構造だけである」。強調は構造に向けられる。「出来事は,多数の関係性がそれ自身のうちに統一するという理由によって出来事となる。」関係のこれらの体系以外では,それは何物でもない。 〔『ソシュール』 ジョナサン・カラー(著)より抜粋〕 2004.06.22 >『ソシュール』(amazon.co.jp) !
まだまだ追加していきます[3] 続く
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